ブログ仙岩

各紙のコラムや報道番組、読書の感想、カメラ自然探索など。

ブラタモリ難攻不落大坂城の旅

2016-11-14 08:52:54 | エッセイ
昨夜の真田丸「完封」をみて、ブラタモリ「難攻不落の大坂城」の地形と重なり、楽しむことができました。

タモリさんは大阪に来て、観光客は年間1億人。江戸時代には天下の台所、秀吉が築いた大坂城の前は、南北に伸びる高台・上町台地のふもとは広大な湿地帯の土地で、日本一の高さを誇る高層ビル・あべのハルカス60階の展望台から見下ろすと、道路の向いが同じ町名で、東西にまっすぐ伸びる道のカーブが武士が少ない商人の街日本一の商都の決めて、そして下に降りて船着き場や橋・堀の痕跡を確認していた。

いよいよ、豊臣秀吉が天下統一の拠点として築いた大坂城は難攻不落の城。昨夜は1614年の大坂冬の陣の真田丸の完封劇であった。徳川の要請で真田丸を責めた上杉らに、天晴れ幸村と言わせた細い道での戦いから、不和と思わせ空掘りにおびき寄せての全滅作戦であった。

大坂城が難攻不落だった理由を、専門家の絵図や地形をもとに様々な角度から説明を聞き、歩いて確かめていた。 年間230万人が訪れる観光名所・大阪城は実は、今我々が見ている巨大な石垣や深い堀は秀吉の大坂城ではなく、豊臣家が滅亡した後に、徳川家がその上に作ったもの。しかし、城内にたった一カ所だけ秀吉の大坂城の痕跡をカメラでタモリさんが確かめた。

そして大坂城の北、川に囲まれた京橋駅の近くにある道路が大坂冬の陣の激戦地。地形を上手く利用したもの。さらに、今年発見されたばかりの真田丸の絵図を手に、タモリさんは南の大工事が上本町などで確かめ、空堀町や長堀通りそして真田山の地名などから、内堀が広いところで100mもあり、難攻不落の大坂城であったことを納得していた。