ブログ仙岩

各紙のコラムや報道番組、読書の感想、カメラ自然探索など。

高田敏子長女久冨純江さんのトークを聞いて

2015-03-27 10:34:43 | エッセイ
今朝ラジオ1時台、「わが心の人」高田敏子の長女久冨純江さんトークの後半をを聞いた。

高田敏子詩集Ⅰ(1964~1978)に載っている「藤の花」の朗読で、


きものの色が 少しずつ地味になってきたように  料理も淡白なものが好きになった

「恋」という言葉も もう派手すぎて  恋歌も恋の詩も書けなくなった

書けなくなったころから 古い恋うたのこころがわかり 

私の恋もまた深くゆたかに 静かに 美しいものなっていった

藤の古木が 千条の花房を咲かせるように


解説が終わると、母の言葉で印象に残るものは、ロマンローランがベートーベンの感動から人生について語り、ダンテの生きるについての言葉で、私も母のようにもっと人生を深く考えたいと結んだ。

詩集の「あとがき」から、「初期詩集」4編から敗戦の東京の町が浮かんできます。

昭和21年4月台湾から引き揚げてきた私は神田や新橋の闇市をさまよい歩き、ブタの内臓売りのおばさんになろうと考えていたからです。

結局ミシンで生計を立てることにしましたが、ある日立ちよった本屋で、娘時代に読んでいた文芸誌「若草」に出会い、十年近くも忘れていた詩への思いを甦らせてくれ、弟が喫茶店に連れて行き、長田恒雄先生に出会い、作品の回し読みにまた、
であったという。

やさしい雨 春の雨・・・など私は好き詩である。

津波犠牲上野永吏可さんなど卒業式に思う

2015-03-26 09:13:31 | エッセイ
昨日は震災年度入学生1000人余りが4年間の学び舎福島大を後にした。従来の3割から今年は4割が県内就職と言う。

また、川内小でたった一人の卒業生秋元千果さんが、24年に帰還、友の帰還を待ちながら3年間学び23日巣立った。

津波で亡くなった友への卒業式も同23日に行われた。

当時小学2年生で津波犠牲の上野永吏可さんが、南相馬市原町区大甕小で卒業式が終わってから、永吏可さんの卒業式が19人の卒業生が見守るなか教室で、父親敬幸(42)さんに卒業証書が手渡された。

敬幸さんは涙を浮かべながら有難うございますとお礼を述べ、同級生に「卒業おめでとう。永吏可と友達でいてくれてありがとう」と声をかけた。母親と妹も同席した。

上野さん夫妻は長男と両親を亡くし、息子の倖太郎(当時3つ)ちゃんと父親は行方不明で分からいままである。いまでも敬幸さんは捜索活動を続けていると。

亡き級友の卒業証書のことを思い。、いつまでも忘れないでほしいと願う。

さらば北斗星など・開業新ライン

2015-03-18 11:18:15 | エッセイ
先日、1988年に開業した北斗星や、トワイライトエクスプレスなどが今月3月で引退するので一般に公開された。最後の運行では黒山の人で見送られた。

3月ののダイヤ改正に伴うもので、ゆったりの長旅も終わりをつげ、

14日は、常磐線上野東京ラインが開業した。今まで上野終点であり、乗り継いで東京で行っていたが、いわき品川間が直通になり、東海道線とつなぐ乗り換えなしで利便性が高まった。一日15本の特急ひたちはいわき発がすべて、品川発では15本の内13本が始発と言う。両駅で出発のセレモニーが行われた様子が翌15日の新聞の載っていた。

常磐線の他に、東北線、高崎線も同時に開業した。

また、金沢から東京までの北陸新幹線も開業、今まで、金沢から」在来線で上越新幹線を利用するより1時間23分も早まり、2時間38分でかがやきが運行した。73年の整備計画から42年でようやく実現したという。北陸の皆さん長い間待ち望んだことが実現して良かったです。

福島県立高校入試合格発表

2015-03-17 08:30:47 | エッセイ
16日の昨日、福島県立高校の合格者8754人の名前が書く高校で発表された。

やや何度の高い数学の第6問の問題解答を載せていますが、合格の陰には別れがあり、また、新しい出会いが待っている。

中でも、今年開校するふたば未来学園高校では初めての合格者の発表で、テレビ放映されており、授業内容も、宇宙飛行士や林修先生など素晴らしい支援の元で授業が展開され、復興を担う人財育成に多大の貢献が期待されている。広野中学校を仮校舎としてスタート、山手に校舎新築が予定されている。

また、テレビラジオでも沢山の別れが報道されている。藤井彩子アナすっぴんの「月ピン」の松田悟志さん、火曜日津田大介さんがお別れと、

はまなかあいづで、ニュースキャスター伊藤さんが先週で今年度最後と言っておられ、来年も残るのか定かではないですが・・・

しかし、NHKラジオ放送を始めたのは、1925年3月22日で新聞の読者超えて情報が伝わった。今年で90周年と言う。震災で停電しても携帯のラジオは生きており、改めてラジオの力を感じた人は多かったと思う。

昨夜のテレビでは、富岡に津波被災パトカー展示開始が、また、サイクロン直撃のバヌアツで80%以上の家屋が被災したという報道がすぐにわかる。メデアの力は偉大である。これを戦争でなく、平和に利用してほしいものである。