オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

草刈・・・

2012-09-03 | Weblog

9/3(月) 土曜日の午後、五日間に及ぶ郷里での日程を終えて帰京したが、東京は激しい雨が落ちていた。郷里でも到着した28日から29日と大雨であった。前回にも雨に祟られた所為か、従姉妹からは「また、Masanoriが雨を連れてきた」と、云われる始末であった。

雨の合間に畑の様子を見に行った。植えてあったスイカは、小玉の苗が一本だけ生きていた。何個かは狸かハクビシンに実を喰われ、無残な姿となっていた。それでも草むらの間を丹念に覗くと、四個ほど生き残っている。採るには早そうな気がしたが、試に二個だけ収穫。

                    

瓜はミカンの木や、囲いに何個かぶら下がって熟れるのを待っていた。スイカと同様に、獣に喰われた瓜の残骸が幾つか転がっていた。瓜も黄色くなって生き残ったやつを何個か収穫した。処が暫くすると激しい雨、シンボルの栗の木の下に避難したが、びしょ濡れとなった。

              

そんなことで、出だしから塩梅悪し。この休み中に河原でデイキャンプをやろうと云ってあったが、深夜の大雨で翌日から川は洪水となり計画はとん挫した。どうも今年は雨に憑かれているようだ・・・。

                                   

二日間は畑の作業は出来ず、雨の合間を縫って池の掃除だけで終わった。三日目の木曜日、漸く薄日が差してきた。陽が射すと暑くなるので、6時過ぎから畑に出た。早朝に二時間ほどの草刈。いったん家に戻って朝食、その後再度出動したが草刈機がストライキのか不調となった。これを治すに往生し時間を喰われた。

                    

50日余り草を刈っていないので膝まで伸びている、これだけ伸びると刈るのも手間が掛かるのだ。最後は疲れ果てて、早めに作業を切り上げた。散々な草刈となった。残りは明日でだ・・・。

スイカや瓜の悲惨な状況に比べ、南瓜は鈴なりとはいえぬが、随分と実を付けていた。5~6個を収穫する。大豆が大問題、葉は茂れど実を付けずである。いつぞやの阿蘇の”みその大豆”の失敗に懲りて、今年は信州と秋田の大豆を植えて生育し、収穫を待っていたのに惨憺たる有様である。何故?

金曜日、この日も早朝に畑に出た。昨日の刈り残しを始末すべく働いた。都合三時間ほど労働して引き上げた頃から、またしても激しい雨が落ちてきた。危機一髪でセーフ、ここは日頃の心がけの良さか?金曜日となり、川の水嵩も低くなった云うに・・・。これじゃ鮎が捕れんだろう、と心配する。

                        

鮎と云えば、妹の亭主のHirikatu(私の同級生)と従姉妹が届けてくれた。Hirok atuは勤めを退職しているので、農事を早々に切り上げて涼みがてらに川に通っているとか。土産にも沢山持たしてくれた。この鮎で一夜干しを少し作った。鮎の一夜干しは旨いのだ、酒の摘みとしては最高なのだ!

                             

この日、同級生のYOSHIMASA夫妻が顔を出した。安田川の上流に『馬路村』がある。この柚子で有名な村に姉が居り、其処を訪ねる途中とかであった。このお姉さんに世話を掛けた思い出がある。中学生の頃、Yoshimsaと家出を敢行したことがあった。私にとって二度目の家出、またしても挫折したが、その折に世話を掛けた。「姉さんに宜しく」と、云った。

私が帰省していることは伝えてない。Hirokatuの処に立ち寄り、私が戻っているのを聞いたそうだ。二年ほど前、奥さんと一緒に上京した折に会って以来。姉さんに持参する土産の一部だろうが、一つ置いて行った。

さて、スイカと瓜の味だが・・・程々であった。スイカの一つは熟れ過ぎ、一つは4~5日収穫が早い感じだが、置いておくとハクビシンの餌食だろう。致し方なし。

                        

帰京の朝、川は青い流れに戻りつつあった。束の間の草刈隊ならぬ、夏休みを終えて羽田に着くと、これまた大雨に遭うとは!。雨が憑いてこないで銭が憑いてくればいいものを・・・、そうは上手くいかんな・・・。

                         

 

 

コメント (3)
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