オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

またしても、雨とともに

2012-09-19 | Weblog

9/19(水) 先週は木曜日に松山に入り、旧友たちと懇談。愉しいひと時を過ごした。松山の繁華街「大街道」は人出も多く賑わっていた。一時、大街道の商店街も寂れたとのことであったが、そんな声を払しょくするような感であった。

友人たちとの懇親の場は、その大街道から入った飲み屋街。ながら、店は小体ながらも落ち着いたいい店であった。そこの座敷で四人で酌み交わす。大酒を飲むメンバーではない、何時ものようビールからハイボールへと移り共通の話題を肴に宴はつづいた。

                       

                       大街道への入り口                M氏とK氏

ホテルに迎えに現れたkatuta氏は、私の口髭を見て大笑いをした。私は彼の頭をみて「随分と進化をしたものだ、と笑う」。Miyoshiさんは、少々白くはなったが原型をとどめた頭髪で、何時もながらに穏やかである。Hoshiak氏は、夏に会議で上京したおりにお茶をしたので変化なく、涼しげで夏向きの頭髪、冬場かなり寒いであろうが・・・。頭のことはお互いに触れない方が幸せか・・・。

M氏は本社・社会貢献推進室時代の私の後任、H氏は昭和と云う時代に本社の同じ部局の仲間、K氏とは昭和が終わる頃と平成になり横須賀での勤務と二度ご一緒した。過ぎ去った時代は、何時もいいものだと思う次第。

翌日、彼らと昼をご一緒してから高知行の高速バスに乗車する待ち時間、暑いので冷房が効いた三越デパートにて束の間、涼んだ。そういえば、前回松山を訪れた時は松山三越に知人がおり立ち寄った。その知人は一昨年、仙台三越へと転勤になり地震でご苦労をされた。 二階のテラスでお茶をご馳走になったことを思い出す。

高知市に近づくにつれ、雨雲が重くなってきた。インターを降りて市内に入ると、大粒の雨が落ちてきた。ここの処、毎回の帰省の度に雨となる。今回は大型台風の影響、上手い具合に雨とぶつかるものだ。またしても従姉妹たちから「masanoriが雨を連れてきた」と云われよう・・・。

高知支店に今春から転勤となり、ぶつくさ言っているOkada君に会うこととなっている。傘とデジカメを片手に、高知駅前から支店のある大手筋へと向かう。駅前広場に、幕末・維新の土佐の立役者三人の像が建っていた。真ん中に「竜馬」右が「中岡慎太郎」、左が土佐勤王党盟主「武市半平太」である。何時の間にや、かようなものが建っていた。

                         

像と云えば、はりまや橋の辺りに建っ予定の「南国土佐を後にして」の歌碑の方はどうなっているのか?資金が足りないので寄付を!の再度の要請があったが、一度応えただけである。一千万程度の資金を集めきれないようでは、土佐人の意地が知れように・・・。なんてこと思ったり・・・。

駅前から、はりまや橋に向かう大通りを下ると3分ほどで江の口川の橋、この川沿いのヤシ並木が南国情調と云えようか。川沿いに出る夜台のギョウザが人気となっている。母は、この右手に在る病院に長く入院していた。

                          

観光客に人気があるのが「ひろめ市場」、この千坪にも満たないスペースに、間口1~2間の店が櫛比しており、真ん中に長テーブルと長椅子が置かれている。客は、好きな場所を取り、好みの店から飲食物を買い、飲み食いする。格別安くもないが、この手軽さと選択肢の多さに魅かれるようだ。昼間から飲み食いする客で溢れている。

                   

高知の繁華街「帯屋町」通りも客足が少ない、松山の大街道に比べると三分の一か・・・。高知支店とは目と鼻の先、ひろめ市場に入りO君の登場を暫し待った。今日は、端っからハイボールで行くことにした。

 

一時止んでいた雨が、夜になって降り出した。明日からの草刈が思いやられたのであった。

 

 

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