オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

不幸な金魚・母校記念日・草刈・・・

2013-07-02 | Weblog

7/2(火) 先週の週末、金曜日の夕方に郷里に帰った。先ほどまで雨が降っていたとかで曇天、空港のすぐそばを流れる物部川も、着陸前の機窓からの眺めは土色の流れだった。此処何日も天気が悪いとのこと。

久々の実家では池の金魚が死に続けていた。これが江戸時代で、五代将軍綱吉の生類憐みの令などがあった時代なら、入牢は間違いなしだが・・・。それにしても、ここ何日もつづいているとのこと。

翌朝の朝早く、小雨の中を池の掃除と水替えに没頭した。水が腐りかかったようになっていたのだ、これで大丈夫かと思いきや・・・。夕方までに10匹ばかり浮いたり沈んだりと残骸をさらけ手ていた。

雨の合間を縫って畑に出る。五月に植えたスイカや瓜は草に埋まっていた。その草の合間から、スイカと瓜・南瓜が二三個づつ実を付けているのが見つかった。苗を植えた時に敷き藁か寒冷紗でもすればよかったのだが、後の祭りとはこのこと。草刈・草引きが思いやられる・・・。

               

更に翌朝にも十匹ばかり死に、その夕方までにまた十匹と死に続ける。百数十匹はいた金魚が三分の一にまで減った様子。庭の花壇に死がいを埋めているが、金魚の仏で満杯になりそうだ?

打つ手が分からないので、かつて金魚の飼育のことで豪語していた越中の熟年ライダー、ことM氏に電話をした。田圃の草取り中との多忙な処だったが、訊くと3%の塩水にしろとのことであった。しかし水槽じゃないんだから、塩梅が分からん。適当に塩水を作り池に入れた。

妹の家に行き、ネットで金魚の病気を検索する。いろんな病気が出てきたが、どれが該当するのか判らん。亡骸の様子から金魚ヘルペスじゃないか?と見当をつけた。が、この病気は手の打ちようがないと書かれていた・・・。座して死にゆく姿を見、亡骸の始末をするだけなのか?

日曜日も天気が悪かったが、車の運転の練習をした。田舎道を10kほど走らせた。一本道なので面白くもないが、車幅の感覚とスピード感を意識する。

昨日の月曜日、朝から母校の開校記念日、65周年を記念して生徒たちを前に講話をした。久々に人まで話をする所為か、時間が足りなくなり一番肝心なところが半端なことになった。一時間の時間は直ぐに経ってしまった。

この日は幸いにも晴れた。午後から実家に戻り畑で残りの草取りと西瓜や南瓜などに敷き藁を敷いた。珍しくイクリ(ソルダム)が沢山実を付けている、熟した実に虫がついて随分と落ちていた。昨秋に亡くなった父が枇杷酒を作っていた枇杷もお仕舞で、蜂が汁を吸いに飛び回っていた。

                

                     

夕方には学校の先生方や、地元同窓会の副会長・事務局長、PTA会長など十五人で懇談会。土佐の宴会らしく杯のやり取りが続き、久しぶりの日本酒をタップリと頂いた。これで終わるはずもなく、先輩で元母校の校長だったTさん、同窓会事務局長のNさんと隣町のスナックへと流れた。午前零時が近づき、すっかり出来上がって退散した。

                           

今朝も金魚は死につづけているが、カエルは元気だ。池の中が空っぽになったら池の大掃除でもするか・・・。

予定の作業も残したままで、帰京の朝を迎えた。母の食事用に朝から煮物などを作り、実家を後にした。何時もながら、田舎に帰ると飯を喰い過ぎる、母の食が細い分、自分で作って自分で食してしまう。下の写真は、或る朝のメニューだが、こんな具合なのだ。

             

                    

故郷の川、安田川も雨つづきで水量が多い、これだけの水量だと鮎釣りには不向きのようだ。今週末には従姉が鮎を送ると言っているが、水が少し引くといいのだが・・・。

                          

 

 

コメント (2)
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