オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

移転に向けラストスパート

2014-07-06 | Weblog

7/7(月)  今日は七夕のはずだが、この空模様じゃあ逢瀬はできそうにもないな。一年待ったというのに、気の毒なことだ・・・。考えてみりゃあ江戸の空は雨模様だが、広い世界だ上々の逢瀬日和の処もあろう。要らんことを思ってしまったか・・・。

今週末は当社の事務所移転である。新事務は近所ではあるが、移転のゴタゴタや準備に距離は関係ない。愈々、本格的に捨てなきゃ~。まあ直前までバタバタであろう。週間天気予報では、土・日とも好天である。勿怪の幸いとは、このことか?

 

今朝は、窓を打つ小雨の音で目覚めた。五時頃であったろうか。それから弁当のメニューを考えて悶々と時を過ごし、漸く決まったのが「ポテトサラダ」とは・・・。後は、バーベキューの時の残り「豚バラ焼肉用」が冷凍庫で冷え込んでいる。これを熱いフライパンでたっぷりといたぶり、熱してやろう。

その他は、インゲンとアスパラを茹でサラダに。冷凍の鯖文化干しを焼き、キャベツの千切りやレタスを添えよう。と、こんな次第に纏まった。

今日のメインは、散々に考えて出てきた「ポテトサラダ」である。ジャガイモやニンジン、卵を茹でる。タマネギと胡瓜をスライスし、薄い塩水に晒した。後は、塩・胡椒、マヨネーズで和えるのみだが、その前に酢を少々加えた。

                    

茹で上がったインゲン・アスパラにオリーブオイルを垂らし、塩胡椒を軽く振った。豚バラ焼肉は、焼き肉のタレを仕上げに使うが、その前にシメジ・ピーマン・タマネギを一緒に炒めた。別々に炒める予定が、ついつい面倒になった次第。手抜きはいかんヨ!と、天の声がするぜ。

                         

とまあ~こんな具合で、今朝の遊びが終わった。弁当に詰める段になり、これまた最後は、飯を寄せて菜を押し込む。何時もとおりである。最後に、AJIROちゃんが贈ってくれた、「梅メンタイ」をご飯の上に載せた。

                      

私の方は今朝もスムージーとはならず、熱々飯に梅メンタイ、残りの菜でご飯を一膳となった。炊き立て飯の魅力には抗いがたし・・・。

 

 昨夜、熊本・菊池の山里で「きじの松田屋」を営む”松つあん”こと、MATUDAさんから電話を貰った。「あの本、読んでいる人が結構いるんだね。今日も三重の方ら電話を貰いましたよ。頑張れーって、激励されましたよ」とのこと。

松田さんを情報誌「ライフアシスト誌・夢のステージ」と云うコーナーで取材をさせて頂いたのは、四月のことであった。その情報誌の配布が、先月末頃から始まっているようだ。これを見た旧知の方々から、連絡が入るとのことであった。

                          

                          このデザインは、YOSHIOさん

二十一万部発行している情報誌なので、情報伝達力はあるはずだ。それにPR誌臭さはないので、隠れファンも多い。こう云う情報誌は長く、長ーく続いてほしいものである。

今週末には、WEB版もアップされるので、その方もご一読を願う次第である。これは、本誌に収録できなかった事柄をサイドストーリーとか、取材余話として掲載している。

余談ながら、MATUDAさんのホームページ「きじの松田屋」にあるBLOG・松つあん日記を読んでもらうと、山里でのシニアの暮らしがよく分かる。雉・ホロホロ鳥を飼い、田圃に果樹栽培、村落での世話役と大車輪なのだ。一週間程前から腰を痛めているようだが、働き過ぎに違いない。松つあん!年相応に働きなっせ!!

 

 

 

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飯・めし・メシ・・・

2014-07-06 | Weblog

7/6(日) 金曜日は豊洲の客先に直出、同行のスタッフとランチの後、東京ビックサイトで開催中の「国際ブックフェア」へと廻った。帰社は夕刻になり、直ぐに一杯会があった。そんなことでBLOGのアップをする暇もなかった。

昨日の土曜日、午後には出社のつもりでいたが、家人が出掛けたこともあり晩飯作りに方向転換して買い物等でサボってしまった。飯作りだけが生涯の友と、呑気なOYAJIであった。

7/4(金)そんなことで、弁当オヤジとしては先ずは金曜日の弁当から記そう。金曜日、台所に立った時刻は明け六つを過ぎていた。時間も少ないので、先ずは飯を炊き、菜の方も手軽にできるものに限定される。食材を並べて暫し思案の上、取り掛かった。

                          

焼き魚に「鮭」を、冷凍のニンニク・ニラ抜きの餃子を焼いた。煮物は野菜で「人参・ピーマン・シシトウに薄揚げとウインナー」であった。この日のメインは私的には「、胡瓜の酢物」である。胡瓜と、生姜に茗荷、大葉も刻んだフルコースの酢物であった。

                    

 以上で終わりにしようかと思ったが、何か淋しいものがある。卵料理だぜ、これがない。卵焼きばかりじゃ能が無いと「シメジの卵とじ」を作った。これなら、弁当箱が一杯でも、飯の上に載せればいいのだ。

                          

手間暇も掛けない割には、旨そうな弁当が出来上がった。旨そうな匂いに魅かれて小皿にアツアツの飯を、これに残った菜をのっけて喰ってしまったのである。誘惑にはてんで弱いOYAJIであった。

                    

 

7/5(土) 昨日の土曜日、朝から鮎を焼き、胡瓜の酢物、納豆卵焼きに胡瓜の塩麹揉み、チリメンジャコ、ラッキョウに梅干し、味噌汁を作って朝飯&ビールと食いしん坊OYAJIぶりが満開。喰いすぎだ~・・・。

                         

朝の飯がこなれないが、午後に出掛ける家人の代わりに、晩飯作りを考える破目になった。長女と孫が来たので、そのリクエストに応えようとの親心だ。

『何が喰いたいんだ?』と訊くと、長女はハンバーグと云い、孫はいっちょ前に「ラーメン」だと。それはそれとして、食いしん坊OYAJIは「炊き込みご飯」が脳裏を過ぎった。

先ずは食材の買い物だと、孫の手を引いて出掛けた次第。このチビが、なかなか言うことを聞かない。あっちこっちと、店に寄り道して遊ぶのだ・・・。余所のガキなら張ったおすのだが、そうもいかん。「オニーさん」と呼ぶ孫だ、気長に付き合うしかない。

野菜と鶏肉、挽肉に冷凍ギョーザなどを贖ってきた。長女のリクエストに応えて「ハンバーグ」作りが当確、私がリクエスト?の炊き込みご飯は「鶏と牛蒡の炊き込み」に、揚げj物は「鶏もも下とポテト」、茄子と挽肉の味噌炒め、サラダは紫タマネギに胡瓜・レタス、長女が好きな鮎も焼き・・・、ざっとこんなところであったか。孫の言うラーメンとは、ソーメンであったので大門素麺を茹でた。

                     

結構な量と多彩な晩飯ではないか・・・、ハンバーグが大うけであったが、我ながら美味かった。こん具合に喰いに走ったので、腹が苦しくて夜の街に出る気力が失せていた。実は、この日で渋谷の缶詰BARが閉店するとかの話があった。最後なら、顔を出さなくちゃ義理が立たんと思っていたのだが・・・勘弁してくんろう~。

 一夜明けた今朝の飯、流石に軽くしようと「豆腐・卵焼き・野菜スープ」に、昨晩の残り飯「鶏炊き込みご飯」一膳にした。午前に人に会う約束が有ったので、ビールも控えた次第。

 

 -酒場日記―

酒場日記の看板が泣くほどに酒を飲む気力が失せている。SHIMADAさんの忠告の所為ではなかろうが、飲むと疲れちまって二軒目に走る気力がない。いい若い者のがこれじゃいかんが、如何ともし難く、遺憾である。

木曜日、夕方になってからTOKIOが「ちょっと良いことがあったので、一杯付き合ってよ。奢りますから」と云う。そう云われちゃ付き合うしかない。何時もの「ローカーボ」で、となった。

確かに目出度い、嬉しい話だった。一年半経って、ようやく目出度い話が聴けた。弊社の「ICT教育ニュース」にバナー広告のスポンサーが付いたとの報告であった。単発の記事広告はあったが、レンジの長いバナー広告は初めて、嬉しい限りだ。

TOKIO曰く「小さな一歩ですが、会社にとって大きな一歩へと始まる一歩だと思います」だって。『そりゃあ、アームストロングが月面に降り立った時の一言だな。それにしても、ニュース担当にとちゃあそれぐらいの重さはあるな』と、祝った。ローカーボでのひとコマであった。私はこの後、地元学芸大学で生ビールと焼肉が待っていた。

                     

そして週末の金曜日、元スタッフのBINが人形町に来た。九か月振りに姿を見せたことになる。彼の贔屓だった「高松」にスタッフも何人か顔を出し、千葉・八千代市からUSUI老も駆け付けての飲み会であった。BINもすっかり元気な様子で何よりである。

                          

この夜も二軒目に行く元気なし。22時にはご帰還であった。この体たらくじゃ、酒場日記は早晩に廃止・廃刊の憂き目だな!

 

 

 

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