7/17(木) 春眠ならぬ熱暑の季節なれど、今朝は暁を覚えずの状態であった。前夜に深夜まで椅子の上で眠りこけた所為か?それにしても眠かった。起きた時には、既に7時を廻っていた。
幸いにも長女の弁当が、今朝は要らないと云う。一番早くに渡す弁当がないので大助かり。これから家人用の弁当に着手しても時間の余裕はある。そこで、何時もよりは一時間以上も遅いが弁当作りに着手したのであった。
今朝は、「ソーメンパスタ」に「ピーマンの肉詰め」「鶏肉・人参・牛蒡・蒟蒻の煮物」と、卵は簡単スクランブル風となった。何しろ一人分んでいい、然し作り手としては物足りない。何時もと同じ量を作ることにした。
ソーメンパスタと云っても、野菜(タマネギ・シメジ・人参・キャベツ)を茹でるか炒めるかし、茹で上がったソーメンにオリーブオイルで絡めるだけのことである。ピーマン肉詰めは、挽肉とタマネギ・シメジの微塵切りに繋ぎを加えて炒め、ピーマンに詰めて焼くだけのことである。煮物に至っては、もっと簡単である。
そんなことで、ご飯が炊きあがる時間に出来上がった。一人分の弁当を作りながら、これじゃ淋しいと、一年ぶりとなるmy弁当も持参することにしたのである。
弁当二つを詰め終えて、残ったソーメンをちゅるちゅると啜ったのである。この素麺が中々旨い、旨い素麺であった。
久々に持参した弁当を喰ったのは、午後4時を過ぎていた。友人が上京しており、午後2時半帝国ホテルで彼に会って帰社したのは四時過ぎ。それから社内打ち合わせが始まる4時半までの間に、慌ただしく弁当をかき込んだのである。久々のお弁当だからゆっくりと味わってやればいいものを・・・。然し、旨かったよ!改めて弁当力を実感した。
余談・・・
「事務所移転の案内が届いた」と、何人かの友人や知人から連絡を貰った。中には「一体どうしたの?」と、夜逃げでもしたんじゃないかと、心配気な声もある。また、胡蝶蘭の鉢を頂戴したり、お祝いを頂くなど申し訳ないことも多々。
そんな中で、友人のT物産社長OKAZAKI氏が一昨日に来てくれた。「花より団子だろう」と、お祝いを頂き、暫しお茶をご一緒して雑談した。「先週に母が急逝して、家族だけで葬儀を済ませてきた」とのこと。氏の母親は、大津市で一人暮らしをしていた。東京に呼ぼうとしても、住み慣れた地で一人暮らしが一番と動こうとしなかったそうだ。
その八十八歳となる母が急逝している姿を発見したのは、朝訪れたヘルパーさんだったそうだ。心筋梗塞だったとのことだが、遺書が二通あり、それには「延命治療はするな」「葬儀は家族だけで済ますように」と、記されていたそうだ。OKAZAKIさんはその意思も尊重し、副社長だけに伝えて、他には漏らさないようにと厳命したとのことである。
彼の母のことだ、このことを知れば葬儀に駆け付ける処であったが『そんなことであれば、それも致し方ないな』と納得した。そんな話を聞きながら、お互い、何があってもおかしくはないなと、なった。そんな話の中、昨夜の赤坂「禅」のオーナーだった東郷好彦さんの祥月命日の案内のことになった。
『俺は一寸遅くなるだろうが、顔を出すよ』と云うと、彼は「アメリカに居る長男が帰ってくるので、家族で食事をする約束になってる。難しいな」とのことであった。東郷さん夫妻と我等は、よく一緒にゴルフに行った仲であった。
-酒場日記ー
昨日は夕方よりOB会の理事会があった。会が終わった後はラウンジでの懇親会と予定が決まっていた。赤坂・一ッ木通りの「禅」に着いたのは八時過ぎであった。着くと歌姫・葉子さんが「OKAちゃんが、早くに顔出してくれたけど、家族との食事があると帰ったわ。義理堅い人ね」とのこと。それやそうさ、義理堅いに決まってよ・・・。なんて分けの判らん答えを返した。
古くからのお客さん、と云うことは皆さんご年配と云うことになるが。こっちもその一員だろうな、あっちから観ると。そんな方々で珍しく賑わっていた。「死せる東郷、客を寄せる」と云うことか。然し、なによりもは葉子さんの歌とピアノが在ればこそだろう。
OB会懇親会でのビールと焼酎(魔王)の酔いも相俟ったか、禅ではワインと音楽にすっかり酔わされてしまった。外に出ると、この街は眠りを知らぬのか、街路は煌々と輝き、姐さんたちは元気一杯。蹴飛ばされそうなので、声を掛けるのは躊躇った。
帰宅すると、既に零時を廻っていた・・・。これだと、朝が辛いんだ・・・。