5/7(木) 祝日の4日・5日と、午後から会社に出たが、気温が高かった。そんなことで、自席の後ろの窓を開けて過ごしたら、風が抜けて涼しかった。両日とも夕方になると急に肌寒く感じたぐらいだ。特に5日の夕は寒いぐらいであった・・・。外見とは大いに異なり、繊細極まりない小生は、こう云う気温の変化に極めて弱い。
一昨日に会社を出た段階から、体調の崩れる予兆があった。昨日は昼に、知人と地元で会う約束をしていた。朝からすっきりとしなかったが、13時駅前で落ち合い、何処かで一杯やりながら近況の披歴と云う段取り。
知人はN氏と云うが、先月末で勤めていた会社の役員を辞め、暫くは顧問の処遇とのことであった。私よりひと回り若いので、これからもう一花咲かそうという思いがあるはず。退職するとのメールを貰い、「折をみて一献交わしましょう」と、あった時点で、そう感じていた。
そんなことから、昨日の昼間に地元、学大駅前で落ち会うことになったのだ。前日、YOSHIOに『明日は人と会うので、会社には来ねえよ』と伝えると、「えっ!」とか言ったが、勘弁して貰った。その時点で、既に鼻づまりが始まっていた・・・。
学芸大学駅東口に在る蕎麦屋「石原」が、酒の品揃えも豊富で良さそうだとN氏が云う。それじゃ其処へとなった。
初めていったが、確かに酒を飲むに相応しい店であった。先ずは生ビールで喉を湿し、摘みを選ぶ。野菜の天麩羅、卵焼き、摘み蕎麦・・・、もう一品あったはずだが忘れている。ことほど左様に、忘れるのだ。そのうち、自分の名も齢も忘れることだろうぜ・・・、バカ野郎!。
ビールの次は燗酒にした。”ぬる燗の酒”をゆっくりと楽しみながら飲む。そしてN氏の今後の計画などを訊く・・・と、これからじっくり検討をしたいとのことである。『これまでの垢を落とし、身心を充実させてスタートしなよ』そんなことを云ったような・・・。
反対に、私が何故サラリーマンを辞めたのかと訊かれた・・・『理由は幾つもあるよ。でも、一番大きな理由は”自分の足で経つ”だったろうね』と、過ぎ去った十余年前のことを話したような・・・・。だんだんと酒が廻り、あとは朧、朧さ。
約二時間、生ビールでスタートし、二人でぬる燗を四本、仕上げのハイボールと盛りソバで〆た。丁度いい塩梅であったか。
それから、学芸大学に一軒だけになった駅前の小さな書店で文庫本を二冊、スーパーで食料品を少々仕入れてから帰宅した。どうも体が重く、鼻づまりがつづく・・・・。
一時間ほど本を読みながら寝転んでいた。夕方になったので晩飯の準備だ。夕食に「豆ご飯」を炊くことにしていた。従姉に貰ったグリンピースだ。茄子の煮物、グリンピースの卵とじ煮、焼き鯖、竹輪&牛蒡天、野菜サラダのメニューであった。
晩飯の準備はしたが、飯を喰う気にならない。体の節々が痛む、硬い。典型的な風邪の症状か、或いは全身ガンだな、こりゃあ。そんな自己判断をして、さっさと蒲団を引いて、本を読むことにした。こうしている時間、この時間が一番の至福だね・・・。
熱はないが、体は怠い。くしゃみと鼻水が出る、止まらない。そんな状態が、昨夜から今朝までつづいた。
今朝は五時半前に目覚めた。ちょっと早いが起床だ。今日は「イタドリ煮」を作って会社に持参するのだ。三週間ほど前か、TOKIO&AOKIで飲んだ時、TOKIOがイタドリを知らなかった。あの、信州の田舎育ちのTOKIOが、イタドリを知らない?ましてや喰ったことがないと云う。其処で、吾輩がイタドリ煮を持参することにしたのだ。
今回のイタドリは、従姉が徳島で(毎年徳島まで遠征し採取している)採ってきたもの。皮を剥き茹でたのを、塩漬け保存したものだ。昨夜から流水で塩抜きをしておいた。これをジャコ、醤油・味醂の出汁で煮る。結果、味付けが薄すぎたようだ・・・。
朝からの台所仕事だ、ついでに弁当も作ろう。と、なるのは自然の流れだ。シイラ味醂干し焼き、牛小間の焼肉風炒め、卵焼き、出来合の鶏カツ、勿論「イタドリ煮」も加わった。ご飯は昨夜の「豆ご飯」である。
- 余 談 -
さっき、USUI老から電話があった。「抜糸が終わりました」と、至って元気な声である。老は前立腺癌の手術、奥方は肺癌の手術と、二人揃って四月下旬に受けた。揃って退院し、元気とのことであった。ご夫妻揃って癌手術とは、何とも早や仲がいいと云うか、夫唱婦随と云うべきか・・・。
『酒飲んでもいいなら、出てきなよ』と、誘うと「それじゃ行くよ」と応じた。が、「昨夜ビールをコップ一杯飲んで酔った」と言ったが・・・。飲ませすぎないようにしなくちゃ。酔っ払って電車のホームから落ちちゃったりしたら、洒落にならねえもんな・・・。(十数年前に、ホームから落ちて頭から血を出したらしいからネ)
それに、これは相当に古い老の爺さんの話だが・・・。
「内の爺さんが癌だと言われたことがあった。もう齢だから手術は止して、ほっとくことにしたんだよ。十年程も経ってから、爺さんの癌はどうなったんだ?となり、病院に連れて行くと”癌は綺麗に消えています”とのこと。それゃあ目出度い、親戚も呼んで快気祝いをすることになった」
「その日、爺さんはお祝いに備えて、風呂に行ってくると。国道を渡った処に在る風呂屋に行ったんだ。そしたら、国道で車に跳ねられて、お祝いの日の夕方に亡くなってしまった」とか。
そんな洒落にならない、因縁話があるからネ・・・。