オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

椙森神社大祭

2015-05-15 | Weblog

5/15(金) 今日から日曜日まで、「椙森神社」の三年に一度の大祭が始まった。昨年の夏に引っ越した我が社は、この椙森神社の直ぐの裏になる。神社の神楽殿で奏でる笛太鼓鐘の音が聴こえてくる。街並みには幟が並び、祭りの世話人や神輿担ぎ衆の法被姿が行き交っている。

周りの店にも、祭りの音に浮かれた客の姿がチラホラ。昨晩も「ローカーボ」で顔を合わせたHOYAさんも、今日は仕事を休んで神輿担ぎの真似事するそうだ。「ちょっぷく」の常連客の何人かも神輿を担ぐと張りきっている。店長のYAMAちゃんは、店のランチがあるので町内を神輿が出るときの柝を打つ役をすようだ。

「ちょっぷく」と云えば、この祭りの町内弁当を注文されていた。220個の大口発注を受け、今朝は明け方から大わらわ。人手が足りないと常連の助っ人隊から身内まで総動員していた。していた、といえるのも、私にまで動員要請があったのだ。無下にするのも大人気ないので、枯れ木も山の賑わいと、八時過ぎから手伝いの真似事をしたのであった。

町内メンバーとして、馴染の処は大事にせねばならぬのだ。それにこの弁当の表紙デザインはYOSHIOの作である。私の趣味とは異なるが、YAMAちゃんは気に入ったようなので文句を云う筋合いでもない。このデザインで唯一いいなと思うのは、江戸時代の名所絵図から「杉森神社」の図を抜き写した処だ。江戸時代のこの絵図には、椙の字ではなく「杉森」神社とあった。

                     

                         一丁上がり!

徳川幕藩体制の頃には、富籤の神社として繁盛したようである。賑わっていた頃の、門前町や広い境内が描かれている。三百年以上も前の、よすがが窺える。このデザインは脇に小さく在るので、どれだけの人が気付いてくれるかな?

                        

                     椙森神社拝殿            祭り弁当  

 と、弁当助っ人隊から社に戻り、此処まで記して昼になった。12時過ぎに神輿が出発する。YAMAちゃんの晴れ晴れ姿を見てやらねば・・・・。と、神輿の出発点に行った。半尻のオヤジやスネ毛の兄い、茶髪のアンちゃんやネエチャ達が神輿の周りを囲み、熱気が漂っていた。今日も暑いぜ!

             

                          YAMAちゃんの晴れ姿!!

 

今朝携わったのは、他所の処の弁当だけじゃない。自分の守備範囲の弁当も粛々と生産をしたのだ。昨夜、NOBORUと飲んだ後、「ちょっぷく」へ。そこにはAOKIとFUJIKURA、RIEがたむろしていたのだ。店に入る前、入り口のテラスで飲んでいた常連から「お宅のメンバーが待ってるよ」なんて言われたのだ。待たしちゃなかったのだが・・・・。

そんなことから、最寄り駅の学芸大学に帰り着いたのは23時20分。それから、改札口の直ぐ前にある東急ストアにて、弁当の菜を漁って帰った。

で今日は、「ステーキカツ」とチンゲン菜と小エビの香り炒め」、昨日届いた「鮭焼き」に明太子、おまけの一品は「オムレツ」。以上だった。

                

昨晩はまたしても、夜中に咳き込んで目覚める破目となった。安らかな夜は、一夜で終わった・・・・、残念。

 

今夜はお祭りだからね、ちっとはお神酒が必要か!お神酒が俺を呼ぶようだ・・・・。「高松」で飲んだ後「ローカーボ」へ。ここで常連のHOYA&MATUOKAのオヤジ軍団と合流。その後は「セイジュ」から「ちょっぷく」と流れた。                

                           

                           ローカーボのカウンターにて

 

 

 

 

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