オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

「お別れの会」

2015-05-19 | Weblog

5/19(火) 昨夜は予報通りの雨となった。22時を過ぎて学芸大学駅に着くと、雨脚が強くなっていた。革底の靴を履いて出掛けたので、雨の降りだす前に帰り着きたかったのだが・・・。「ローカーボ」から「ちょっぷくと」と、何時もながらの道草をした結果が、この様である。

昨日の昼間、ホテルオークラで「田中順三」さんのお別れの会があった。氏は、NTTファシリティーズの初代社長として活躍された。私がサラリーマンとして最後に勤めた会社であるが、その時は社長を下りた後であった。私は、NTT剣道連盟の副会長、また本社剣道部の会長としての田中さんにお世話になっていた。

私がその会社に移った時、田中さんは取締役相談役になっていたが、辞令を受けた後に挨拶に伺うと「とてもいい人が来てくれると、待っていました。よく来てくれました」と過分な言葉を頂き、手を握って下さった。とても温かい気持ちになったのは、十五年も前のこととなる。

また遥か以前、私がグループの広告会社に出向していた当時、田中社長から建築関係の関連会社をご紹介頂き、ビジネスに繫がったこともある。そういう意味でも深い恩がある方であった。

昨年の12月、剣道部の忘年会でご一緒し、酒を交わしたが、かつての酒量に比すと随分落ちていた。日本酒に造詣が深く、全国の銘酒に精通していた。明るくて愉しいお酒を飲まれた。今年三月、剣道部の者から「容態が思わしくないようです」と、耳打ちされていたが、それから一週間ほどでご逝去された。忘年会で一緒に撮った写真が最後の記念撮影である。

                        

                        

                            26年12月

篤実・温厚で見識が高く、その経歴に相応しい「お別れの会」で、各界から数多の方が参列された。私も末席を汚す身ながら、遺影の前に立ってこれまでの御礼を申し述べた。

                          

平服での参列を、とのことであったので、一番上等なスーツと靴に、滅多に締めないネクタイは渋い色合いにした。その靴もスーツも雨に祟られたが・・・・。

歴代の社長に挨拶し、先輩や後輩と懇談。歴史小説家になった後輩とお茶をし、本の話をしてからの帰社だった。今あらためて、田中順三さんのご逝去を悼む。

 

 ―オムスビ―

今朝の目覚めは五時前であった。昨夜は早くから演歌のCDを聴きながら眠りについた。CDのいいところは、勝手に終わってくれるとことだ。これがラジオやTVではそうはいかん。夜中に音で目が覚めてしまう。オヤジの子守唄は演歌に限るね…、詩に泣かされメ、ロディーに胸を打たれているうちに眠っているのだ。

で、爽やかに目覚め、予定どおりに「オムスビ」弁当の用意をした。鮭・明太子・塩昆布・肉味噌の四種である。いたって簡単なことは云うまでもない。肉味噌を作るので、一緒に「茄子味噌炒め」も作る。これに「卵焼き」で、朝のお仕事はお仕舞となった。

                     

オムスビは何時もより小ぶりにした。ご飯の食べ過ぎに注意だ!

                          

以上、十個のオムスビに海苔を巻いて完成である。

 

 

 

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