10/25(水) 秋の長雨とは云うものの、ほんまによう降りまんねぇ~。大雨じゃないが、シトシトと今日も朝から降っているのだ。午前中、目黒の某社に立ち寄って、カフェラテを飲みながら後輩のTAKAHASHI君と雑談。彼が作っている自家版ニュースペーパー(写真入りで、これが大いに笑いを誘うのだ)を貰い、最近の状況などを訊いた。
さて、今朝の弁当は一つだけながら「野菜天麩羅」や「ピーマン肉詰め」「稲荷寿司」等と、盛り沢山になった。五時前から目が覚め、暇なので台所で遊ぶ仕儀となりメニューが増えた。
野菜天は、茄子・ズッキーニ・オクラ・菰ダケ・安納芋と少量多品種である。衣は薄くして上品に?。稲荷寿司は、出来合の煮付稲荷に酢飯(柚子のてまいら酢)を作って詰めるだけ。ピーマンの肉詰めは云うまでもない作り方。冷凍シューマイを温め、塩秋刀魚をカットして焼き、小松菜&オクラの煮浸し、最後に定番の卵焼きである。
以上のラインナップだが、これだけ品数があると弁当に詰めるのがひと苦労する。何時もながらのことだが、往々にして詰め忘れが出るぐらいなのだ。
昨夜は20時頃から「ローカーボ」にて会津旅行の決算報告と打ち上げに参加。五千円近く残金が出たとのことで、これで皆でハイボールなど飲んだ。最後に「ちょっぷく」に顔出してからの帰還だが、連日の奮闘で疲れているのか、23時には学芸大駅に着いた。
会津旅の最終章を記しておくが、芸者さんを交えた宴会は21時にお開きとなった。宴会場の使用時間が21時までと、制限されていたのが幸いした?。延々とつづけば、花代が嵩みつづけるところだからネ。小人だね俺は!。
外は台風襲来で、強風が吹き荒れ、雨が叩く悪天候。ながら、旅館の温泉に早朝からゆったりと浸かり、優雅な気分だ。ビール飲もうぜとと、うち揃って朝食会場に降りるとバイキングだ。たっぷりと料理を取ってテーブルに着いたが・・・・。なんと停電だ!、十分ほどであったが。
宿のチェックアウト時間は11時だった。この天候じゃ動けないと、様子見をしながら部屋でゆっくりする。最後はロビーの隅にあった卓球台で、ピンポンパンとなったが、思うように球をさばけない。空振りするわ、腕は伸びないと、一様に衰えたな~と実感するのであった。元卓球部だと豪語したNAKAMURA大将であったがマッチャンに連敗を喫し「汚い手を使いやがって」と、悔しがる。
雨は小康状態になるが、風は強まる一方だ。そんな中を、白虎隊自刃の飯盛山へと向かった。ここも三度ばかり来ているが、この台風の所為か剣舞や音楽は流れていなかった。碑文を読み墓に参拝する。
すぐ下にある「サザエ堂」を横目にタバコを一服。強風なれど、雨は上がった。サザエ堂は、不思議な建物で、階段は無くスロープで上まで上がり、下りもスロープだが、上り下りがクロスしないのだ。相当前になるが、某社のPR誌でこの建物を取材しているが、担当したのは亡くなった黒田君であった。
最後に「白虎隊記念館」と云うのに入り、戊辰戦争時の展示物を見た。近藤勇から土方、土佐の板垣退助や山県有朋など数多の展示物があり、総数一万二千点とあった。前夜、感動を新たにした女白虎隊の正式名称は「娘子軍(じょうしぐん)」とあった。銃弾に倒れた中野竹子隊長の下、二十名だったそうだ。因みに、白虎隊は343名で編成されていたとか。
此処から、会津藩校であった日新館の復元施設へと向かう。タクシーの運転手さんに交通状況を聞いてもらった処、電車は動いていないとのことだが、高速バスは運行しているとの情報。東京を発つ前から、午後から夕方には交通機関も動くだろうと想定していたが・・・・。
強風の中、日新館に入ると広い広い・・・。昔の藩校をそのまま再現した観光施設だが、敷地は八千坪もあるとか。儒学、武術、砲術、天文学から水練場の池まであり、教科ごとに施設が連なる。有に一時間は要するとのことだが、気の急く面々は四十分ほどの駆け足見学。武士の子弟教育の充実ぶりに驚かされた。
会津駅に着いたのは午後二時前、駅中の蕎麦処で昼食を摂ることになった。動いていると云う高速バスの営業所は駅ロータリーの向こう側だ。マッチャンが時間とチケットの手配に走り、手配が整った。安心して、天麩羅蕎麦を肴に、利き酒セットやらを飲む。
駅のアナウンスが聞こえるが、運転再開の声がないな~。と、暫くして「15:05分発、郡山行から運転を再開します」のアナウンスが流れた。またしてもマッチャンが走り、バスチケットの払い戻しと、JRのチケットを手配した。これで一安心、一抹の不安を抱きながらもバスより電車の方が間違いなかろうとホームに入った。
入線した電車の座席を確保し、発車を待つばかりだ。が、安全確認をしておりますの放送があり、一向に発車の気配がない。発車時間を五分、十分と過ぎていく。「阿武隈川の水位上昇で、行政から避難指示があり、解除まで発車できません」とのアナウンスが・・・・。更に、運航のめどが立たない状況ですときた。
バカヤロウ~なんて下品な言葉を吐きながら電車から降りる。マッチャンが「3時50分の高速バスがあります。急いで並びましょう・・・」と云う。満席になっちゃ乗れない。バス停へと急いだのであった。吹きっ晒しの中、バスを待った・・・・。定刻より三分遅れてやってきたバスに乗り込み、漸くホットした次第。
途中の遅れを心配したが、粗時間通りに郡山駅前に到着。新幹線ホームに上がると、上手い具合に上りが五分程で入って来た。上野駅着は六時半頃、ホームタウンの人形町着は午後七時と、当初計画より一時間程度の遅れであった。
お世話になっているお店に、ささやかな土産を配りながら、旅の終わりを祝す乾杯の声が響いたのは言うまでもない。東山温泉で唄えなかったストレスを「セイジュ」のカウンターに陣取って一気に解き放ったのであった。白虎隊の歌が出たのは云うまでもない・・・・。
旅の教訓は「一気呵成、初心貫徹、為せば成る」あたりになるかな?。総員の結論は、決行して良かったと云うことであった。それにしても、マッチャンの活躍は見事。八面六臂の活躍とはマッチャンのことであろう。お疲れ様でした!。
人形町パトロール隊、次は何処への旅となろうか・・・・・。