10/30(火) 東京も二週連続して台風の接近で悪天候となった。先週の日・月と会津でも暴雨風。そして、今回の土日における平和島ボートレース嬢でのSG戦ボートレースダービーも雨風に祟られた。一夜明けた今朝の、風強しなれど天気晴朗とは大違いだったのだ。
ボートレースダービーは優勝賞金が3500万円、優勝戦に出場するだけでも賞金が600万円と高額。但し、全国のボートレーサー千数百名の中から選ばれた(勝率上位)の五十名のレーサーしか出場できないのだ。そのレーサーたちが六日間闘い、土曜日が準優勝戦、日曜の十二レース目が優勝戦となる。この優勝戦に勝利すると3500万円、二位は1350万円で、ドンケツの六位でも600万円の賞金となっている。
そんな大レースで、ボートレースファンのお祭りのようなものなのでNAKANOオヤジの車に拾ってもらい、雨中の出撃となった。出撃する以上は選手達の戦績や、今節の成績などの把握は欠かせない。それなりに準備をして臨んだことは云うまでもないが・・・・・。
流石、大レースだけのことはある。悪天候ながら施設の中は大混雑、TV撮影の櫓が建っち観戦場にもカメラが並んでいた。そんな中、我等は第七レースから参戦した。会場に入るとNAKANOオヤジと別れ、別々にレースに臨む。これが常である。
十レース目が終わり、何時ものようにレストラン(食堂か)でビールを飲む。それからOYAJIの様子を探ると、元気なし。芽がでないようで「駄目だ!」と、ショボクレオヤジそのもの。『未だ二レースあるぜ、チャンスはあるさ』と慰めともつかぬ言葉でその場を離れた。
そして準優勝戦の最終レースになって再び合流し、この日の最終戦を観戦した。結果、二人とも外れ、。「今日はどうだったんだ?」と訊かれ、『ボチボチだね、少しプラスかな』と応へた。帰りの車中、『天気も悪いから、明日は止めようかな?』と言うと、「電話するよ」との答えが返った。
日曜日、最終日だが大雨の予想どおりに雨は激しくなっていた。午前中に届く宅配便が、何時もの昼前と違って十時過ぎに届いた。外は雨、やることもなし。面倒だが、昨日頂戴したお宝を少し返しに行くかと、ボートレースの予想をした・・・。俄然、やるる気になりNAKANOオヤジに電話を入れた。
「寝てたよ、こんな天気の日はよく寝れるんだ」と寝惚けた声で応える。『行かないの?最終日だぜ!』と、昨日の帰り道とは裏腹な檄を飛ばした。そんなやり取りがあり、じゃあ行くかとなって激しい雨の中を平和島へ。昨日と同じく、七レースから参戦となった。
この日の展開と買い目は検討していたが、最初のレースを取った(涙程度を)だけで、後がつづかない。事前に考えていたとおりの目を買っておけばウハウハだったのに、現場に来るとそのとおり買へない。それが良い時もあるが、この日は裏目となった。
そんな中で愈々最終の十二レース、優勝戦となった。順当にいけば、1~3番辺りまでが勝率が高い。人気も髙くその分、配当は少なくなる。泣いても笑ってもこのレースが最終だ。このレースに夢と?希望をどう託すか?、である。悩んだ結果、順目・逆目の双方から幅広に買うことにした。結果が悪くても、どうせ前日に預かった(?)ものを返すだけのことだ(本音は、これまでに預けたのを返せよ!だが)と・・・・。
上手い具合に小降りになっていた。タバコでも吸って外で見ようよと、オヤジを誘って一番の端でスタートを待った。お互いの買い目は明かしていない。結果が出てから手の内を明かすのだ。
不利な外枠の六号艇が強引に内に入って一号艇の隣のコースを取った。満員の場内がざわついた・・・・。時計の針が廻り始めた、スタートだ!・・・。
一斉にスターラインを突破し、第一マークに殺到する。一号艇と六号艇がせめぎ合い、六号艇が鼻の差で先に抜ける。一号艇が猛追して並び掛け、急襲するも抜ききれない。二マークを廻り僅かに六号艇が優位に立った。三番手争いも、激しせめぎあっているがこの両艇とも舟券は押さえてある。
問題は一着争いだ・・・・、六号艇が先頭であれば、高配当が望める。6-1、は買っているが、1-6、は持っていない。ここは六号艇に踏ん張って欲しいのだ・・・・。二週目に入り、六号艇が有利になってきた・・・。一・二着が見えてきた、三着争いは最後まで激しかったが、二号艇が競り勝った。
6-1-2、の順ででゴール。着順が決まった。優勝3500万円、二着1350万円、三着900万円の行先が決まった。それに比べると、こっちの獲得(預けてある)した金額は微々たるものだが・・・・。
選手たちは、年末のグランプリ戦(一着賞金一億円)まで凌ぎを削って賞金王を争う。こっちは財布を削るのであろうか・・・。否!、預けてあるお宝を戻して貰うことに勤しむのだ。
隣のNAKANOオヤジが力なく訊く「買ってるのか?」と。『買ってるようだよ・・・・』と言うと、舟券見せろよとつつくのであった・・・・。
俄然、激しくなった雨の車中「焼肉奢れよ」と言う。『今日は日曜なので、今度ね!、店に行くから』と、応える・・・・。負けているオヤジに気の毒で言ってなかったが、土曜日も預けた金を戻してもらっている。努力するものは報われる、そう信じて検討した結果だが。
然し、今度店に行くと「ボトル入れろ、ノド黒くえ、ヒラメ喰えの挙句に、焼肉へ行こう」となるは、請け負いか・・・。致し方ないか、毎回車で送り迎えしてもらっている身だ、身を削るのは。
自治の処、今回のレース参戦は乗り気でなかった、全国の超一流の選手ばかりから、どう買えばいいか、皆目?だったから。それを何とか凌げてよかった、と云うのが本音だ。されど、この二日間で会津の旅、芸者の花代に費やした資金の回収ができたと思えば幸いか・・・・・。
台風接近の終末を、かくの如く過ごし、青空の週明けを迎えた。さあ~弁当作り、ながら、今日も一つだけでいいのだ。
買い置いた「豚肉」を、ソテーとトンカツにすることにした。一つの食材尾二種にする、見上げたものだ。後は、シメジと九条ネギのソテー。冷凍シューマイを温め、卵焼きを作る。以上である。
ご飯の上に「山椒ジャコ」を振り掛けてお仕舞にした。明日は何にが出来るやら・・・・・。
弁当事を終え、風呂に入ってから家を出た。隣の八百屋の小母さんから「風が強いから気を付けてネ」と声を掛けられて。
駅に向かいながら、左足の甲の痛みが一向に取れにないことを認識させられた。歩き方が変だし、歩幅が狭く足を着くと痛い。こうなってから、もう一月になる・・・・。とうとう、近所の整形外科医に立ち寄ることを決した。
行ってみると、整形外科は診察待ちの患者で一杯だった。一時間以上待たされ、漸く診察となった。症状を伝えると「痛風じゃないね、甲の骨が悪いんでしょう。レントゲン撮ると直ぐに分ります」と、たった三分でレントゲン室へ。暫くして診察室に『呼ばれ「この写真を見てください。ここの骨と骨のつなぎ目が磨り減って変形してるでしょう」と言う。が、こっちはそんなことは判りゃしない。
『で、どうなんですか?治るんですか?』と訊くと。「これは治らないですよ。靴屋でアーチサポート付のインソールを買って靴に入れて下さい。後は、痛み止めの薬と湿布だけですね」の診断だった。
薬の処方は断ったが、もらっときゃよかったと後の祭り。三割負担で済めば、薬局で買うより安いはずだからネ・・・・セコッ!。
右の膝関節、左足の甲と、満身創痍だな・・・・。これじゃボートレースも車椅子、YOSHIOに押して貰って行くことになるか。冗談で言ってきたのが、愈々現実になりそうだぜ。
これまでの悪行非道の数々を思えば、我が運命も致し方ないか・・・・・。否、心を入れ替えて「達磨大師」の道を歩むのもありか?。