オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

人形町の夜は更けて・・・②

2019-04-10 | Weblog

4/10(水) 昨夜でローカーボのカウンターに入って二日目になった。昨日の午後、自宅近くのスーパーや八百屋で買った食材で摘みを少し作った。手抜きもいいところであるが、「タコ&胡瓜の酢物」「ポテトサラダ」「九条ネギの酢味噌和え」「チキンのトマト煮」「ベーコン&アスパラ炒め」である。

18:05分に店に入り、子供たちの夕食づくりをしているマスターと交代した。店には、会社(元の所属先だが)のITO女史が来て待っていた。諸々、聞いてほしいことがあったと言う。話を聞くのはいくらでもできる。店を開ける準備をしながら話を聞いた。

話は聞けるが、最後に云えるのは「答えは貴方の中にある」である。話すことで胸のつかえが下り、考えの整理ができるものだ。八時前になり、私が頼んでいた書類をUSUI女史が届けてくれ、さらに新人の女性スタッフが姿を見せた。女子三人で盛り上がっている中に、AOKI君が私宛の手紙があったと持参した。

                

八時すぎまで静かだった店に常連さんたちが姿を見せだして賑やかになってくる。私が作った拙い摘みを出して食してもらう。会社のメンバーや常連たちが三々五々散り、静かになりつつの店に「高松」のご一行が五人で来てくれ、また賑やかになった次第。

             

それでも来客数はトータルで十五~六人でなかったろうか?。たった五時間半、カウタンーの中でいい加減なハイボールを作るだけの作業だが少々草臥れているのだ。店の常連で友人になったNUMATAちゃんの後に付いて、山歩きして鍛えるしかないな!。

23時30分になり、残っていた客三人をマスターに委ねて帰ることにした。知り合いの三人から「飲んでいこうよ」と誘われたが・・・。未だ三夜残っている。金曜日が「ローカーボ」の歴史  —店の歴史は長くはないが、私の滞在時間は長い— 最後になる。その夜はタクシー帰りになる覚悟だが。

そんなことで、帰宅は25時前、東横線終電の一本前であった。

今日も午後に買い物をして簡単な摘みの三・四品ほど作るつもりだが・・・・。

 

慣れぬことを二晩つづけた所為か、今朝は眠かった。無呼吸症を改善するために着けるマスクなんぞのせいで余計に眠りが浅いように思える。こんなことの例えを、角をためて牛を殺す、と云うのではなかろうか。

家人に起こされてようよう布団から出た。今朝の弁当は「牛のプロコギ風炒め」「棒棒鶏」「ハム&卵」「マカロニ&ベーコンのカルボナーラ風」、最後に鮭を一切れ焼いた。

 

以上が今朝の遊びだが・・・。遊びと云うより修行だった!。とうとう、無理が効かぬ体になったか?。 

 

 

        

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする