オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

平成最後の日に・・・

2019-04-30 | Weblog

平成31年4月30日(火) 今日、今上陛下が退位された。明日、新天皇の即位と新たな元号「令和」となる。その節目の日となるのでBLOGを記すことにした。

我が過ごしし平成の時代を振り返ると、サラリーマンとして管理職となり昭和天皇崩御と平成の時代を迎えた。そしてバブルとその終焉、日本経済の長い低迷を過ごしたことになる。

平成の世の半ば、サラリーマンを辞めて遅まきながらの転職。今上陛下の退位が決まった昨年末に、私も会社人生に終止符を打った。

三十年に渡る平成時代を振り返ると、自身にも様々なことがあるが、とりわけての出来事は平成元年、まだスタートした月に従弟の武本 章を失ったことである。クモ幕下出血で冬の朝に逝った。実の弟のようにしていた彼を亡くしたのが、平成最初の出来事であった。

それからの平成の御代三十年、過ぎてしまえばあっという間のことだが、経済的には興隆から低迷へと転変したこの国が戦もない時代を経たことは慶事と言わざるを得ない。自身にとっても、なんとか山谷を越えて勤め人としての人生を終えた。

そんな平成の時代が終焉したわけだが、そんなことの感慨に浸っていてはこれからの余命を生きるに情けない。さりとて、未だに先行きが定まらず。ただただ、日々の、目先の予定をこなしているのが実態である。

我、行かん。その気概だけは捨てずに「令和」となる明日から、新たに歩めれば好である。

余談ながら、たまたま今日は家族でBQを行う日であった。雨の予報のために屋外への遠出は避けて、結局は我が家に全員(13人)が集合して開催となった。雨を避けて玄関先に焼き台を置いてのBQ、にぎにぎしく一日を終えた。全員が揃うのは、年末のクリスマス会と正月二日ぐらいか。

例年であれば、その二回とも私は郷里で過ごしてきたが、両親が彼岸へと渡りその必要もなくなったことと、連休中に病院でCTを撮ることになった。また、店舗賃貸の行方が不透明なことなどで東京で過ごすことにした。

実家の庭の改修をこの連休でやってくれることになった。任せ放しで恐縮だが、妹夫妻に委ねた。来月の半ばには東京での諸々が見えるであろうから、一週間ばかり帰省の予定である。

 

 

 

 

 

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大型連休に入り・・・

2019-04-30 | Weblog

4/29(月) 世間で十連休と騒ぐ大型連休に入り、今日は三日目となるが素浪人にとっては何日であろうが関知するところではない。さりとて、家人や家族にとってはそうでない。そんなことで、素浪人も些かの関りを持たざるを得ないのだが・・・。

家人の方は日曜も休日もなく仕事に出ている。今日は、家人の処で働くようになった長女も出勤するとのことでサンドイッチの弁当を作ることになった。スタッフも一人、出勤するとのことなので簡単なものだが三人分のサンドを用意した。

貧乏オヤジは食パンの耳を落とさない・・・耳なしホウイチにはしないのだ(昔話を知らなきゃ意味不明、可笑しくないか)。

               

弁当のことはさて置き、夕食の準備も居候のような私が作ることが多い。金曜日や土曜日のように外出した日はに無理だが。昨夕は、筍や茄子を天婦羅にし、筍の土佐煮、筍ご飯と在庫の消費に努め、土曜日の蕎麦打ち会で打った蕎麦を茹で、夕食を用意した。

今朝は根菜の煮物を、今夕は親子丼と鶏唐揚げ焼き魚などを準備し達た。まるで飯屋のオヤジのようだが、こんなことでもしてなければ間が持たないのも事実・・・。

 

連休前夜の金曜日、YOSHIOから連絡があり意見を聞きたいとのことで人形町に行ったのが午後四時。話を聞いてから、五時半前に五反田の居酒屋「蔵や」でUSUI老と落合った。「蔵や」に入るのは何年ぶりか?、それほどの顔だしであった。

この店の店主が狭い厨房の中を動き回って作る摘みの数々が凄い、美味い。美味くて安いときているので狭い店内はすぐに満席となる。我らが席を取った後も、常連さんや予約で席は埋まった。女将さんの仲立ちで隣に座った常連とも会話がはずみ、味よし客よしで、楽しく愉快なひと時を過ごしたのであった。

              

店の手洗に入ると、壁の棚に飾った生花が瑞々しくて綺麗だった。思わず手を触れた、余りにもきれいで瑞々しかったので。女将さんの細やかな心遣いが伝わる。

                 

ほろ酔いで「蔵や」を後にし、二人して人形町に戻り「セイジュ」へ。月例のセイジュ会をママさんが入院して不在ながらも継続であった。何時ものメンバーが揃い、婆さんママの快気が何時のことやらと、勝手な談義をしてカラオケに興じてひと時を。

最後に閉店札の下がった「高松」に行って金魚割を飲み、仕上げの小蕎麦を食して帰宅した次第。

               

 

連休に入った土曜日、NPO・日本橋粉の会が主催する「蕎麦打ち会」のある日であった。ちょっと遅めの11:30に行った。遅めに行くのは私の常だが、早めに行っても一斉に打てるわけじゃなく、最後の人が終わってから始まる懇談会にも参加するので遅く行く次第。

            

捏ねから延ばし、切りから茹で方まで師匠連が丁寧に指導してくれる。ここで作る蕎麦は二八蕎麦と呼ばれる、小麦粉二、蕎麦粉八の蕎麦である。この日は、師匠が打った桜蕎麦も懇談で頂いた。

たまに行っても上達しない!、回数をこなして慣れるしかないようだ。同じ蕎麦粉を使いながらも打ち手によってこれだけ味が違うかと、師匠連の打った蕎麦でも味が違うのが分る。蕎麦を食し、懇談のビールや焼酎を飲みながら、鎌倉から来てると言う隣に座った師匠の話を聞く・・・、これがまた楽しい。

この日は、午後四時半に後片付けを終えてお開きとなった。、丁度いい時間であった。と云うのも、この土曜日はUSUI老の誘いで焼肉を食べに行くことになっていた。五時半に堀切菖蒲園駅で待ち合わせだった。

人形町駅から都営浅草線の青砥駅で乗り換えて堀切菖蒲園駅に着いたのは、待ち合わせ時間の十五分前と頃合いであった。駅に老と、AOKI君が既に居た。彼らは一時間も早く着いたとのことで、駅から至近の菖蒲園に行ってきたとのこと。

             

駅前の通りを渡ってすぐの「牡丹峰」なる焼肉店が老のお勧めの店で、老の案内でこれまでに二度来ている。然し、わざわざここまで来るほどの意味は?ながらも、老の誘いならば如何ともしがたい。

他に二人、老が誘った五反田の整体店のオーナー姉妹が来るとのことだが遅れていた。私とAOKIは先に店に入り、始めた。カルビやハラミなどバンバンと注文し、マッコリを飲みながら・・・。全員が揃う前に満腹。蕎麦打ち会で飲み、摘み、蕎麦まで食し、さらに焼肉までだ。過食だねぇ~。

 

連休の初日から飲&食でスタートとなった。二日目、三日目も自分で作り食事量が増えている。おまけに明日は、家族のBQ会である。雨は間違いないので、我が家か長女の家でやることになったが・・・。明日の雨の状態でどっちにか決めるそうだ。どっちでもいいが、子供達を入れると十三人だぜ!煩いだろうね!。

こっちは、過食に気をつけることにしよう!。

 

 

 

 

 

 

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