オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

久々の散歩・・・

2019-04-16 | Weblog

4/16(火)今日は午後から予定なし。余りにも暇なので、散歩に出掛けることにした。膝を痛める前には日々一時間~二時間程も歩いていたが、歩けなくなり歩かなくなって何年が経つか・・・。

前によく歩いたコースを辿ることにして、先ずは碑文谷公園から日大プールの脇を抜けて駒沢通に出て柿木坂を目指すことにした。碑文谷グランドの裏手に、柿木坂のゴルフ練習場で一緒になり、そこのゴルフコンペでは車に何度か同乗させて頂いたお宅がある。

そのお宅を目の当たりにして、ゴルフ練習場を訪ねてみる気になった。環七を渡り、柿木坂から八雲へと向かうすがら呑川緑道の緑に誘われて緑道を少し歩いた。ソメイヨシノは葉桜ながら散り遅し花びらがチラチラと舞、八重の桜が盛りを迎えていた。

               

緑道の植え込みには白や青の山野草が咲き、ツツジは一週間もすれば咲き揃いそうに蕾の中から赤や桃色の花弁を覗かせている。爛漫の春、仕事もない私は陽光を浴びながらゆっくりと歩むのであった。川岸を渡るときを待つ人、そのもののように。

目指したゴルフ練習場のあたりに着いたが、懐かしきネットは見当たらない。暫く行き来したら、その場所には高級なマンションが建っていた。無理もないか、この辺りは八雲・柿木坂の高級な邸宅街の一角を占めているのだ。ゴルフ場のオーナーのENOさんは、外人向けの高級賃貸なども手掛けていたほどだし、相続などを考えれば・・・だ。

周辺は十年ほど前に比べても、さらに高級感が漂う街になっていた。時間の流れに感慨を覚えながら、谷地になっている吞川緑道に下りて都立大学駅方面と歩く。目黒通りを越えて、平町の昔住んだ社宅の在った方向へと歩く。歩きなれた懐かしい道を進み、環七に出て信号を渡り、未だに通う理髪店の前に行ったが、残念なことに休みだった。やっていれば散髪、と思ってコースにしたのだが。

桜道と名付けられた床屋のある前の通りを下ると「すずめのお宿公園」がある。ここに立ち寄りひと休みすることにした。公園の入り口に、黄色い花が咲き誇っていた。園内に半分ほどが竹林で、すずめのお宿の由来である。個人が持っていた二千坪?はある敷地を寄付してできた公園である。「死んだらこの土地は国に返したい」と云うのが、ここに住んでいた故人の遺志であったと記されている。

         

 

竹林の地面には筍が顔を出し、大根花か紫の花が一面に咲いている区画があった。ベンチと灰皿があったので、ここでひと息ついた。家を出てから一時間以上が経っていたが、歩みの遅さか?。

 ひと休みして帰路に着いたが、途中に有る尾大スーパー「イオン」に寄り在庫切れの品と夕食用の食材を数点購入した。帰宅すると四時を回っていた。二時間の散歩になった。

早めに夕食の準備をと、すぐに取り掛かった。そんなタイミングで長女から電話が入ったので、夕食に来るように伝えた。

筍ご飯に鯵フライ、手羽元の唐揚げ、筍煮、小ジャガイモの煮つけ、九条ネギの酢味噌和え、てんこ盛りのサラダ、なめこの味噌汁、以上が夕食のメニューであった。飯つくりに始まり、飯つくりで終えた、暇OYAJIのかくも優雅なる一日である。

           

 他にやること、なすべきことが有るだろう!と、言われそうだ・・・。

 

 

 

 

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弁当作り終え、取材依頼・・・

2019-04-16 | Weblog

 4/16(火) 朝の弁当作りを終えて、頃合いを計らってLPGA(女子プロゴルフ協会)に電話を入れた。用件は、協会所属のプロで前理事の伊藤佳子プロと連絡を取るためであった。勿論、協会が所属先を持たないプロの個人連絡先を教える訳はないと承知している。

電話に出た職員に、こちらの要件伝え伊藤プロに伝えてほしい旨を依頼をしたのである。伊藤プロを知ったのは三十年余も前のことだが、ゴルフに熱中していた時代でもあり名前や学士プロになった経緯はスポーツ紙などから承知していた。

親しく話をするようになったのは、当時勤務していた会社の広報宣伝部に転勤し、会社の所属プロであった伊藤プロの個人事務所との窓口業務をやるようになってからのことだ。転勤までの二年足らずの短い期間であったが、その後もイベントへの出演依頼などで交流は暫くつづいた。

そして顔を合わすこともなく二十年余を経て、往時の上司が本社の常務取締役に就任し、そのお祝いを当時のメンバーですることになった。協会理事になっていた伊藤プロにも声を掛けたところ、千葉のトーナメントで競技委員を終えてから駆けつけてくれた。八~九年も前になるが、お会いしたのはそれが最後であった。

今回の取材依頼は、私が昨年まで席を置いた制作会社のスタッフから、クライアントの公式サイトにインタビュー記事を掲載したいので、プロゴルファーを紹介してもらえないかとの要請による。別のクライアント案件でお世話になったタケ小山さんも脳裏をかすめたが・・・、個人的にはトーナメントの応援や番組収録でワイハまで同行した伊藤プロのことが浮かんだのである。

尤も自分がゴルフを辞めて長くなり、最近の状況に疎いこともあるが・・・・・。

そんな次第で、連絡先が不明な伊藤プロに繋いでもらうために、こちらの素性と番号を伝えて伊藤さんからの連絡を待つことにした。が、十分も経たないうちに電話が入った。「お久しぶりです」と。用件を伝え、快諾を得た次第である。

思い返せばあの当時、伊藤プロのマネージャーだったISAKO女子にも随分と厳しいことを云った。もともとが、私が在籍した会社(公共事業)が女子プロを持つことに対し、個人的には納得しなかったこともある。純粋にプロを応援し活用する文化があるのか?甚だ疑問だった。飾りに使っちゃならないと思っていた。私も若かったよねぇ~!考えが。

思い返せば、女子トーナメントの初戦、毎年、沖縄で開催されるダイキンオーキッドに、支社長以下で応援に出掛けたことも懐かしい。

昔、係わりがあった方が元気にされており、またこうして何かのつなぎができることは、嬉しいものである。人と人を繋ぐ、私のライフワークであるかもしれない・・・・。酒場も然りである。

 

で、肝心の弁当だが、今日は「トンカツ」をメインにした。トンカツ二枚と、インゲンも弁当に入れるだけフライにした。「ほうれん草のお浸し」と刻みネギ入りの「卵焼き」、明太子を載せて弁当が完成した。

 

トンカツの下には千切のキャベツを敷き、茹でたキヌサヤを加えて野菜不足への対応と色め添えた次第である。

 

 

 

 

 

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