4/16(火)今日は午後から予定なし。余りにも暇なので、散歩に出掛けることにした。膝を痛める前には日々一時間~二時間程も歩いていたが、歩けなくなり歩かなくなって何年が経つか・・・。
前によく歩いたコースを辿ることにして、先ずは碑文谷公園から日大プールの脇を抜けて駒沢通に出て柿木坂を目指すことにした。碑文谷グランドの裏手に、柿木坂のゴルフ練習場で一緒になり、そこのゴルフコンペでは車に何度か同乗させて頂いたお宅がある。
そのお宅を目の当たりにして、ゴルフ練習場を訪ねてみる気になった。環七を渡り、柿木坂から八雲へと向かうすがら呑川緑道の緑に誘われて緑道を少し歩いた。ソメイヨシノは葉桜ながら散り遅し花びらがチラチラと舞、八重の桜が盛りを迎えていた。
緑道の植え込みには白や青の山野草が咲き、ツツジは一週間もすれば咲き揃いそうに蕾の中から赤や桃色の花弁を覗かせている。爛漫の春、仕事もない私は陽光を浴びながらゆっくりと歩むのであった。川岸を渡るときを待つ人、そのもののように。
目指したゴルフ練習場のあたりに着いたが、懐かしきネットは見当たらない。暫く行き来したら、その場所には高級なマンションが建っていた。無理もないか、この辺りは八雲・柿木坂の高級な邸宅街の一角を占めているのだ。ゴルフ場のオーナーのENOさんは、外人向けの高級賃貸なども手掛けていたほどだし、相続などを考えれば・・・だ。
周辺は十年ほど前に比べても、さらに高級感が漂う街になっていた。時間の流れに感慨を覚えながら、谷地になっている吞川緑道に下りて都立大学駅方面と歩く。目黒通りを越えて、平町の昔住んだ社宅の在った方向へと歩く。歩きなれた懐かしい道を進み、環七に出て信号を渡り、未だに通う理髪店の前に行ったが、残念なことに休みだった。やっていれば散髪、と思ってコースにしたのだが。
桜道と名付けられた床屋のある前の通りを下ると「すずめのお宿公園」がある。ここに立ち寄りひと休みすることにした。公園の入り口に、黄色い花が咲き誇っていた。園内に半分ほどが竹林で、すずめのお宿の由来である。個人が持っていた二千坪?はある敷地を寄付してできた公園である。「死んだらこの土地は国に返したい」と云うのが、ここに住んでいた故人の遺志であったと記されている。
竹林の地面には筍が顔を出し、大根花か紫の花が一面に咲いている区画があった。ベンチと灰皿があったので、ここでひと息ついた。家を出てから一時間以上が経っていたが、歩みの遅さか?。
ひと休みして帰路に着いたが、途中に有る尾大スーパー「イオン」に寄り在庫切れの品と夕食用の食材を数点購入した。帰宅すると四時を回っていた。二時間の散歩になった。
早めに夕食の準備をと、すぐに取り掛かった。そんなタイミングで長女から電話が入ったので、夕食に来るように伝えた。
筍ご飯に鯵フライ、手羽元の唐揚げ、筍煮、小ジャガイモの煮つけ、九条ネギの酢味噌和え、てんこ盛りのサラダ、なめこの味噌汁、以上が夕食のメニューであった。飯つくりに始まり、飯つくりで終えた、暇OYAJIのかくも優雅なる一日である。
他にやること、なすべきことが有るだろう!と、言われそうだ・・・。