4/25(木) 今日のご飯は「豆ご販」にした。昨日の午後、郷里の従姉から茹でた筍と茄子・ほうれん草・青豆などが届いた。先日は妹から筍が届き、ここ数日は「筍ご飯&煮」などがつづいている。そこで、今日は「豆ごはん」にした次第。
この時期、筍やグリーンピース、鯛と季節の食材を炊きこんだご飯や、菜を作るのが常である。季節の三部作、筍ご飯、鯛めし、そして豆ご飯の登場である。
食材の好き嫌いが激しい義母も、炊き込みご飯だけは何を作ってもよく食してくれる。
「豆ごはん」を仕掛け、胡瓜の酢物、ホウレン草の胡麻和え、などを作るが、メインの菜は「トンカツ」であった。フライついでに茄子もフライにしたが、義母は茄子もネギも(青魚も)苦手か箸を付けないけれど、そうそう気にもしてられない。食べないことには、頂いた食材を駄目にするだけだから。
昨日の夕、外出する前に「筍と若布煮」「茄子の煮びたし」を作ってから外出したが、茄子の方は家人が食しただけであった。
豆ご飯の炊き込みように使った昆布は、砂糖醤油で佃煮風にして弁当に入れた。貧乏オヤジは、捨てることができない質なのだから。ビールの摘みにもするが、今朝はビールを飲むのは控えたから、弁当の口直し用になった。
昨夕、渋谷「奈加野」に行って生ビールを飲み店主と雑談、従弟が送っているコメ代金を回収してから人形町に向かった。茹でタケノコを食べきれないので、HOYA兄いにお裾分けと云う次第だった。
「ちょっぷく」で合流し、居合わせたマッチャン女史(セイジュのママが入院中で、店を頼まれている)からママさんのことや、店の状況などを聞きながら暫し歓談。ママの復帰は、早くても六月末か?或いは七月になりそうだ。然し、ボランティアで長期に渡り夜の仕事を引き受けるとは、見上げた性根である。『店仕舞いの時間をはやくしなよ。体がもたないよ』と言ったが・・・。
我らは「高松」へと向かったが、途中のラーメン店のカウンターに見かけた顔があった。TAGOッチが相客が居ないカウンターの奥でスマホを弄りながら飲んでいた。兄いと二人して、入り口のガラスドア越しに暫く眺めてると、漸く気付いて「イヤだ~」とか言いながら出てきた。
「俺たちはこれから高松へ行くんだよ。来なよ」と兄いが誘うと、「行きます」との返事が。高松で飲んでいると、TAGOッチは姿を見せた。然し元気がない。彼女はアニメソングの歌手を志し、レッスンなども受けていたが、最近は行けてなと言う。
かつて彼女は、ドトールでチーフをやりながら、夜は高松でバイトをしていた時期がある。が、すぐそばにある会社に転職したのを契機にアルバイトは禁止になった。聞くと、この頃、休日勤務や残業がなくなり、収入がへこんだそうだ。『俺なんか、年金暮らしだぜ!、元気出せよ』と励ますものの・・・・。
「高松」で終いまで飲み、店を出しなに「次は何処へ行くの?セイジュ?」と女将が問う。そうだね、と、応じると「後から行くから」とのこと。てな次第で客の姿がないセイジュで、マッチャンを相手に二人してカラオケ。水曜日は客足が遠いとのことだった。
実は前夜もが短時間ながらセイジュに寄っている(セイジュ会用に4ℓウィスキーを届けに)。ばかりか、高松で後輩のTAKAHASI君の放免祝い(無事に会社を完全退職できた)をUSUI老を交えてやり、ちょっぷくにも行ったのだ。連夜して同じパターンであった。
女将とタゴッチが連れだって姿を見せ、カラオケの続きとなった次第である。マッチャンに店を早く閉めるようにしたらと云った舌の根も乾かぬうちに・・・。帰宅は零時に数分前だった。駅を出ると小雨がつづいていた・・・。