オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

腹減った・・・

2014-07-16 | Weblog

7/16(水) テーマとは何の関係もないが、今は妙に腹が減っている。昨晩は酒が利きすぎた、23時頃に帰宅したが晩飯を喰う元気もなかった。それが今朝まで尾を引いて、朝飯までも喰う気も起きなかったのだ。が、昼を過ぎた今になって猛烈に腹が空いている。

昨日はBLOGを書く余裕が無かったので、先ずは昨日の弁当から紹介する。昨日のメニューは、冷凍餃子を揚げ、野菜(ピーマン・パプリカ・南瓜・ズッキーニ)を素揚げしてから、オリーブオイルとお酢でドレッシング、豚焼肉、焼き鯖・卵焼きであった。二人分の弁当なので、量は少なくていいはずなのだが、作り過ぎてしまう。

             

貧乏人なので、量が少ないと落ち着かないのだ。これじゃいつまで経っても貧乏だわな!

                  

菜は詰めに詰めて、何とか全種を収める。仕上げの一品は「海苔ふりかけ」であった。

で、今日の弁当だが・・・。

朝起きた時はオムスビにしようかと思った。台所に立って飯を炊いてから気が変わった。冷凍庫の残り物や、僅かな野菜の中から選定する。一応は色っ気や栄養バランスらしきことは考えている。

小芋が残っていたので、これの煮っ転がしなどを思いついた。茄子も一本だけ残っているので、これは揚げ物と煮物に半分づつ使った。一切れだけ残っていた時鮭も焼く。一枚だけ残ったスルメイカはリング揚げに。序にジャガイモも一つ揚げる。豚バラとタマネギ、エノキを炒め物にして、最後は定番の厚焼き玉子でお仕舞となった。

            

 こんなことで、今朝のお仕事を終えた。炊き立ての飯の香りが鼻腔をくすぐったが飯を喰う元気がなかった。昨夜の酒の所為か・・・。

                       

 

 ―酒場日記―

月曜日、郷里の先輩たちと赤坂・祢保希で一献交わす会があった。出身会社の県人会・会長が某社の監査役を退いたことから、後任予定の会長を交えて、先輩方三人との飲み会であった。大先輩のFUJITANIさんは、大腸癌を患っていたが、飲み会が始まると至って元気。監査役を退いたばかりのKADWAKI氏も、飲むほどに怪気炎である。

もう一人の長老OKADAさんは、前立腺癌の具合が宜しくないとのことで欠席となった。以前は恰幅が良かった体も、半分ほどに細ってしまった。元気になるの願うばかりだ。

今が旬と云えようか、仁淀川の「鮎」が在った。止せばいいのに、これを人数分注文した方がいた。店に入る前に、ショーウインドーに鮎焼き一匹1800円と出ていたの見ているのだ。無駄だな~と、安田川の美味い鮎を喰っているこっちとしては思う次第。形の良い鮎であったが、旨味がなかった。

                                  

土佐人の酒は、必ず日本酒となり杯のやり取りが始まる。この夜も違わずに、そんなやり取りが始まり、酒の瓶が空いていった。これが帰り頃にな

ると利いてくる。帰り着くとぐったりであった。帰宅すると、あの安田川の鮎が郷里の妹から届いていた。翌朝、早速に焼き昨晩の鮎の味と比べたが月とスッポンの違いである。あにはからんや。

先日の火曜日、碓氷老が移転祝いと称して会社に現われた。祝いの品は何もなかったが、言葉だけはあった。六時ごろから「ちょっぷく」へ、更に「ローカーボ」と流れた。最後にまた、「ちょっぷく」にてワインと、忙しい夜となった。お蔭で、またしてもリビングの椅子で寝てしまい、気が付けば今朝の四時である。

それでも弁当だけは作った。然し、健康には良くないな・・・。

 

 

 

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移転完了&ご飯は何処に

2014-07-14 | Weblog

7/14(月) 金曜日が旧事務所での箱詰めの追い込み。結局22時ごろまで残っていたが、先に会社を後にした。土曜日に荷物の搬出入が終わると見込んでいたが、日曜日の昼頃まで掛かった。日曜日の午後、スタッフの召集をかけて段ボールから書類を取り出して所定の位置に収めた。

                      

                    引っ越し作業中               きりがないな!

何とゴミの多いことか、書類も含めて半減を指示していたが・・・・。引っ越し先でもゴミの山となった。こっちゃあゴミだと思っているが、持っている方にはそんな思いはない。『捨てろ~捨てろ―・・・』が、合言葉だ。最後まで量の多い書籍の整理が付かない。書籍の詰め込みをしたKに『三日以内に整理をしなければ、お前も整理だ!』と、手厳しくオーダーしたが効果は如何に?

電話工事・LAN工事はNTTに依頼したが、この窓口を務めてくれたのがSATOU君であった。彼とは、かつて同じ職場にいた。未だに当時のメンバーと旅や飲み会を愉しんでいる。その仲間「わがまま旅行会」一同から胡蝶蘭まで届いた。思い掛けなかったし、申し訳ない気持ちと嬉しさが入り混じった。

                      

                   「わがまま旅行会」様から       工事立ち合いのSATOUさん

ここ数日慌ただしくもありながら、今日の月曜日から仕事ができる体制が整った。今になって疲れが出てきたぜ・・・。

 

さて今日の弁当は、「ギンダラの粕漬け焼」「南瓜・オクラ煮」「鶏肉と細タケノコ煮」「ズッキーニとピーマンのオリーブ&トマト煮」「小松菜とベーコン炒め」以上である。

            

例によって、弁当箱はギュウ詰となる。が、あまり詰めちゃあ南瓜が潰れる。そんな心配をしていると、ご飯の上に菜が浸食し飯が見えなくなった。Oh!ご飯や~い・・・。

              

そして「スムージー」となったが、食材が乏しい。トマト・御庄ミカン・キャベツのシンプルなものとなった。トマトで淡いピンク色になったが、味の方も淡かった。

                     

 

 -夢日記―

今朝の目覚めは五時過ぎか、夢をみていた。それも仕事の夢だ。某自動車メーカーにプロモーション企画を売り込んでいた。珍しい光景、夢である。ましてや、その某メーカーの腕っこきの幹部が、故人となって久しい田代氏(経団連幹部)で、氏の口添えで自動車メーカーの社長や会長に会ってプレゼンテーションし、更にゴルフ場や庭園のような処でもPRしていた。

それも相当に横柄な態度で『全国展開の前に、エリアを決めて先行実施。その結果を踏まえて拡大しましょう。大手の広告代理店に無駄な金を掛ける意味はないでしょう』なんてことを言って迫っている夢だ。私的には、非常に珍しい夢のシーンである。          

 田代氏とは二十年以上前のこととなるが、私がサラリーマン時代に社会貢献活動推進の任務就いたことから、経団連社会貢献部調査役だった氏を知った。阪神淡路大震災、奥尻島津波災害、アガぺハスの主催するカンボジアへの放置自転車寄贈等と、連携・協力した活動も多かった。

その後、氏はワシントン駐在となったが、病のために不帰の客となった。小柄ながらシャープで明晰な頭脳と行動力を持っていた。彼が夢の中に現われ、往時のままの姿でアグレッシブに働いていた。更にステップアップした姿で現れたのは摩訶不思議と云えようが、覚めてから懐かしく思った。それにしても、手前勝手な夢ではないか・・・、しっかりとビジネスに励むとは。

 

 

 

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台風一過

2014-07-11 | Weblog

7/11(金) 台風一過、朝から晴れ上がり暑い一日が始まる。今日は事務所移転の荷造りの最終日となる。明日は朝から、トラックで荷運びとなるが、差し詰め「赤穂の城の明け渡し」か、「会津から斗南への所領替え」のようなものか・・・。

二十年近い信州会城住まい、余分な品がゴミが山のように溜まっている。本も古い辞書に始まり、参考図書で購入したビジネス書から文庫本の類まで、段ボールで二十数箱をBOOKOFFに引き渡した。その売値が8770円と連絡があった。引き取り料を勘案すれば致し方なしだが、損をした気になるのは貧乏根性故か。

そんな一日なのだが、朝から豊洲の某社へと直出して打ち合わせ。昼前に打ち合わせを終えて、豊洲駅へ。天気の良さに魅かれて、モノレールの「ゆりかもめ」に乗り、新橋を経由して会社に向かうこととした。青空の下、築地市場の移転予定地の工事や、水辺を見やりながらレインボーブリッジを渡り、束の間の景色を愉しんだのであった。

               

              最後尾からの豊洲駅         工事中の新市場        レインボーブリッジの遠望

さて今朝の弁当だが、起床はなんと七時前であった。このままでは飯が炊きあがらない、電気釜を使うのを諦めて、鍋でガスを使って炊く。大凡、二十分で炊き上がるので、電気釜の半分の時間である。

菜の方は、牛蒡と茄子の味噌炒め、冷凍で出来合の鶏カツ、ポテト・シメジとベーコンのバター炒め、冷凍餃子、これらにオクラを茹でて添えた。以上の、簡単、手抜き弁当であった。味噌炒めの味もピリッとしてないし、餃子の焼き方もど下手。どう~もいかんね。

                     

寝坊をした所為で、あたふたとした朝の時間であった。昨夜の酒は「ローカーボ」で、ハイボール三杯だけに止めたのだが・・・。

 

 

 

 

 

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鶏肉旨煮

2014-07-10 | Weblog

7/10(木) 台風が近づいて来た。今朝、田舎の母に電話をしたら「大雨になるらしい、怖いよう。淋しいよ」などと言っていた。年寄りの言うことを、いちいち聴いちゃおられんが、『大丈夫だよ、何の心配もいらんよ』と、気休めだけを伝えた。段々と勢力も弱まってくるだろう・・・。

週末には台風も関東を過ぎ去っているようだ。事務所の引っ越しも心配無用だろうが、暑くなりそうだ・・・。運送屋の働き手が可哀相だ。

愈々自分の書類の整理などに着手し、今日中には粗方整理のつもりだ。会社の30期の期末と引っ越しが重なり、バタバタしている。おまけに経理も変わったので、一抹の不安もあるが、なるようにしかならんと開き直りだ。更に、こっちのボケ具合が重くなってきた。にっちもさっちもなりまへんぜ!

ボケといや、つい一週間ほど間に書いた戦後歌謡曲の「赤いランプの終列車」、この歌い手を三橋美智也とか記した。これが何となく引っかかっていたのだ、なんか変だなと。深夜にラジオから流れた曲は、この題名じゃないなと。三橋のみっちゃんの曲は「哀愁列車」だぜ。この曲が流れたんだ。

違うなと、引っかかってはいたがそのままにしてあった。そのことを今朝、歯ブラシを使いながら思い出した。春日の八ちゃんが唄ったのが「赤い・・・・」だ。こんなことを思い出したのも、風が吹けばおけ屋が儲かる式の、話の繋がり・・・。

会津を初めて訪れたのは、昭和六十一年の春だと記憶する。里の桜は満開であったが、会津では漸く蕾が膨らんだ程度で、寒暖の差を実感した。市内から車で小一時ぐらい走ったと思うが、会津坂下町(バンゲ)が在る。この町はずれの小学校の廃校跡に、業務用靴メーカー・シモンさんの工場が在った(今はどうか?)。

作業靴の製造工程などを見せて貰うための工場視察であった。その帰り、道路際の神社を通りかかった時、「このお宮の木が、別れの一本杉で唄われた木なんです」と聞かされた。それで、歌を唄った春日八郎さんが、ここの出身だと知った。この時に、雪国の暮らしや人間模様について聞かされたが、それは生々しすぎるので置いておこう。

要は、歯磨きをしながら吉田多津夫さんのことが浮かび、案内してくれた会津のことを思い出し、春日八郎と三橋美智也の歌が違っていることを思い出したと云うことである。何とも大した呆け老ぶりだぜ!

歌い手を違っているか、曲を間違えているだろうは、賢明なる諸兄にはお気付きのことであったろう。そして「ARIも相当にボケがきてるな」と、ほくそ笑んだであろうことは、察するに余りある。俺が呆けるのも致し方ない、お袋は九十一になるし、会津を案内してくれた吉田さんが河岸へと旅立ってから久しいのだ。

向こう岸に行けば懐かし先輩や仲間に会えそうだ。「やっと来たかい、憎まれっ子、世にはばかるだったな」と迎えてくれそうだが、九十一歳が居るからな・・・、この始末をつけてからじゃないと、皆に面倒をかけることとなる。

それにしても「板になりたや風呂の板に・・・」と、猥雑な唄を聴かせてくれた東山温泉の”かるた姐さん”も生きてるんかな~、十二年前に訪ねた時は健在で、旅館に顔をだしてくれて吉田さんの想いで話などしたが。もう現役じゃあないだろうが、元気に養老院なんぞで余興でもやってりゃいいんだが・・・。

すっかり余談が長くなってしまった。

さて、今朝は6時半から弁当作りとなった。毎度同じようなメニューで紹介するのも気恥ずかしいが、致し方ない。

先ずは、冷凍パックの「牛味付けサイコロステーキ」と「鶏肉」の解凍から。次いで野菜をカットする。牛蒡と人参は鶏肉との旨煮用に。小松菜は、油揚げとの煮びたし用に。シメジとピーマンは、牛焼の添え物として。用途別に切り分けて準備をした。

                      

後は煮たり、フライパンで焼いたり炒めたりである。味付けは塩胡椒、ウェイユー、醤油、酒、味醂だったか。今日は甘みが強すぎた、失敗だね。最後に、卵焼きを作る。

弁当は満杯になり、何時も最後に入れる卵焼きは、飯を詰め寄せて押し込む。これも毎朝のことであり、今朝も同じことを繰り返したのであった。

                     

 

昨夜の酒場通いは休止、静かで安らかな夜を過ごした。年に数度の珍現象・超常現象、家で缶ビール二本であった。

 

 

 

 

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小芋とイカ

2014-07-09 | Weblog

7/9(水) 今朝の目覚めは6時前、丁度の頃合いであった。昨晩、枕元のスタンドの灯りを消したのは零時を過ぎた頃か、途中で目覚めることもなく眠り込んでいた。前夜の醜態が尾を引いて疲れていたのか、よく眠れたようだ。

さて弁当の方だが、今朝も前夜のうちにメニューを考えてあった。おまけに、菜に使う予定の「蕪・胡瓜の塩麹漬」は、前夜のうちに仕込んでおいた。食材の栄えある候補を、先ずは並べて品定めである。

                                       

今日のメインは「小芋とイカの炊き合わせ」だ。小芋は茹でて皮を剥き、ヤリイカが煮上がる前に鍋に入れた。こんなやり方が正しいかどうか?ながら、私的経験値からこうした。

                         

豚肩肉の薄切とモヤシを、中華風味で炒める。インゲンを茹で、この薄い肩肉を巻いてオリーブオイルでソテー。ベーコンと卵に、ゴマを振った変形のベーコンエッグ風。と、以上で今日のラインナップが出揃った。

                     

今朝もまた、残った菜で飯を喰った。炊き立ての飯の味は、ボケ老人をも惑わす悪女の誘惑に匹敵する。これじゃ、本能の為すがままである。弁解をするとすれば、出来上がり品の検査・チェックのためには止むなし。と、云う処。

 

今日の午前、打ち合わせのために渋谷の某社に直出した。 スタッフのITOU&YAMAGUCHIの両女子に同行しての訪問。打ち合わせが終わったのが、丁度昼の時間。駅に向かいながら、飯でも喰っていくかとなった。

入った店は「俺のハンバーグ」がキャッチフレーズの、ハンバーグ専門店。さて何を喰うかとメニューを見ると、一番安いのがふわふわハンバーグランチ(1200円)であった。すかさず『俺はこれ』と、ガードを固めたのであった。以下、右に倣えである。

味の方は、こんなものだろう。一応、☆印は付けられる。セットに付いてきたサラダが美味かった。朝飯を喰ってから、四時間しか経過していないのだが、喰えるもんだ・・・。

                  

 

 ― 酒場日記―

昨夜の退社時間は21時前。YOSHIOに、たまにゃ早く帰れよと連れ立って会社を出た。二人揃っていりゃ真直ぐに帰ることはない。『一杯だけやっていくか』 と、「ローカーボ」のドアを開けた。珍しく客が数組、時間が時間だ客が居ても不思議じゃないか・・・。ハイボールを二杯づつ、YOSHIOがゆで卵を喰った。

                            

店が混み合ってきたので、これだけで切り上げた。駅に向かうと、直ぐ手前に在る「ちょっぷく」の灯りが呼んでいた。ちょっくらYAMAちゃんの顔を見ていくかと、寄り道になった。店長のYAMAちゃんは、炒飯と作っている最中。案の定だ「これを喰ってけよ」と、押し売りをされた。 

                            

売られたものは買うが、こっちやあ一言居士だ。食い物と飲み物についちゃあ、ちと煩い。そこで一言『YAMAちゃん、この炒飯の味付けは飲み屋で出す味じゃねえぜ。醤油が強よすぎる、塩胡椒でピリッとさせた方が、酒が進む』と、「そうか、そうだな」と素直に聞いていた。

この素直さが、また一癖さ。案の定、「店長ビール一つ」とチケットを一枚がめられて、ノンアルコールビールを飲まれたのであった。YOSHIOは、チャーハンに入っていたピーマンを残したの見っけられ「なに、ピーマンが喰えないの。子供みたいだな~」と、遊ばれていた。

そんな束の間、これが幸せと云うもんだろうと、小市民的平穏に浸ったのである。ご帰還は、23時頃か。

 

 

 

 

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ちょいとやり過ぎ

2014-07-08 | Weblog

7/8(火) 今朝は起こされるまで寝ていた。時刻は六つ半、ということは7時である。いやあ~参ったネ、起こされても未だ、愚図愚図としていた。弁当が間に合わないので『飯だけ炊いてくれ』と、家人に頼んだ。

気が付けば夜中の三時、リビングの椅子にもたれ掛かったままで眠り込んでいた。未だ酔いが抜けていない・・・。目の前に在ったパンを、むしゃむしゃと喰ってしまう始末。体は目覚めず、暫くは動こうにも動けなかった。なんとも情けない体たらくであった。

七時過ぎからの弁当作りとなったが、菜の方は昨夜遅くに駅改札前のスーパーで買っておいた。酔っ払って帰ったのだが、明朝の弁当作りを考えるだけの意識はあったようだ。

そんなことで、ウラフラもやもやの状態で弁当作りになった。救いは、前夜にメニューを考えて食材が揃っていたこと。冷蔵庫から取り出して、並べてみたが蕪の肉詰め煮(蒸し)だけは断念した。

               

鮭の粕漬け焼、牛肉と野菜(タマネギ・シシトウ)の炒め物、シメジの卵とじ、と簡単に仕上がるものばかり。云っちゃあなんだが、手抜き弁当であった。先ずは参加すること、作ることが大事である。なんちゃって!

                     

二日酔覚ましにスムージーといきたい、なれど食材が乏しい。マンゴーと牛乳オンリーのジュースとなった。甘~い、当然ながら。マンゴーは土曜日にスーパーで600円で買った台湾産。過日のメキシコ産(300円)よりは味が宜しいが、高知・安芸の岡宗農園(800~1500円)の品よりは相当劣る。値段の差だけの違いは歴然であった。

                     

マンゴーより、牛乳の方が圧倒的に値が嵩むから・・・、これ一本で2200円以上(送料含む)となるのだ。そろそろバカ高いミルクともオサラバしなきゃな。酔いもしないミルク一本分で、ローカーボのハイボール五杯とナッツぐらいは賄える。体にゃあ、どっちが善いんだ?

 

 -酒場日記―

ボヤキも入った処で、昨夜の酒の話に移ろう。退社したのは19時半だったか。先週、ローカーボで傘を借りて帰った。それを返して、一杯だけで引き上げるつもりで店の扉を開けた。

先客は一人だけ、カウンターの中央に陣取っていた。これが何と、酒場友達のHOYAさんだ。これゃあ長丁場になる、店の梯子かと覚悟をした。隣に腰を据えて、彼の話を聞きながらハイボールを二杯。ここで早くも次に行こうと席を立った。行先は判っている「ちょっぷく」である。                         

昨夜の「ちょっぷく」は、珍しく空いていた。常連の助っ人隊のメンバーが三人、陣取っていたが離れた席に座った。ここでもハイボール、店長YAMAちゃんの人情の如くに薄く、客の健康第一に考えたハイボールである。何時もの如くにグタグタと文句を云いながら飲む。

                          

実は、店長に頼みごとがあったので今夜は立ち寄る算段であった。『YAMAちゃん、ちょっと頼みがあるけど。週末に事務所移転なんで、冷凍庫に猪肉を預かってよ』と依頼した。

「OK!いいよ、持ってきなよ」と、軽い返事。「持って帰るときには、ついでに熊肉も持ってけ!」と、きた。一年以上前から、ちょっぷくの冷凍庫でYAMAちゃんの郷里で獲れた熊肉が眠っている。まさに、なが~い冬眠である。この熊肉を持て余して「持ってけ~」なのだ。

いっとき、この熊肉を私が料理をすることになっていたが、日程が折り合わずに流れた。それからは、熊肉をやっける気力が失せたままなのだ。

そんなこと言いながら飲んでいると、次の店に「たまにゃあ婆さんの処にも顔を出してやってよ」と、HOYA旦那が誘う。三軒目となった。不味いウイスキーは避けて、焼酎&ソーダを飲む。久々にHOYAさんの歌を聞き、お付き合いで2~3曲マイクを握ったが、全然ダメ。声が出ない、グ~の音も出ない。

                            

                           他に客の姿なし、今夜も貸切?

「SEIJU」の客は、最後まで我等二人だけだった。『若い姐さんでも入れたらどうだい?』と云うと、「絶対嫌だ!」と、婆さんも頑なである。三ヶ月ぶりのSEIJUであったが、客足は衰える一方のようだ・・・。人形町でも客の少なさでは横綱格だろうが、よう頑張っている。この頑張りと、しぶとさは見習う価値ありか?

いい加減な時間だ、帰ろうぜと店を出たが、またしても「ちょっぷく」の前で立ち止まった。店仕舞いをはじめている中で、白ワインを飲む。この仕上の白ワインが、安酒が妙に利く。酔うんだよな~。助っ人隊のOOSAWA氏は既に洗い物を終えている。もう一人、常連が残っていた。

この常連さんが、「今週末で会社を辞めて、郷里に帰ることにしました。これまで本当にお世話になりました」と、マジ顔で泣きださんばかりに礼を云う。知らなかったが、単身赴任で家族を郷里に置いての日々。会社に仲間が居らず、淋しを「ちょっぷく」で癒していたと云う。

酒場仲間があればこそ、東京暮らしに耐えられたと、頭を下げられた。とうとう、淋しさに耐えかね郷里の家族の下に戻ると云う。『そりゃあよかった、おめでとう 』と、乾杯し、握手で別れたのであった。酒場の効用と云うやつか、俺にゃ無縁なことだが、酒場で癒されるのも良しとするか・・・。

 

そんなことしてりゃ、酔うわな・・・。学芸大学駅に降りたったのは24時30分。直ぐ目の前にある東急ストアに入り、弁当用の買い物をして帰ったとは見上げた心掛けである。弁当OYAJIの面目躍如である。

 

 

 

 

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移転に向けラストスパート

2014-07-06 | Weblog

7/7(月)  今日は七夕のはずだが、この空模様じゃあ逢瀬はできそうにもないな。一年待ったというのに、気の毒なことだ・・・。考えてみりゃあ江戸の空は雨模様だが、広い世界だ上々の逢瀬日和の処もあろう。要らんことを思ってしまったか・・・。

今週末は当社の事務所移転である。新事務は近所ではあるが、移転のゴタゴタや準備に距離は関係ない。愈々、本格的に捨てなきゃ~。まあ直前までバタバタであろう。週間天気予報では、土・日とも好天である。勿怪の幸いとは、このことか?

 

今朝は、窓を打つ小雨の音で目覚めた。五時頃であったろうか。それから弁当のメニューを考えて悶々と時を過ごし、漸く決まったのが「ポテトサラダ」とは・・・。後は、バーベキューの時の残り「豚バラ焼肉用」が冷凍庫で冷え込んでいる。これを熱いフライパンでたっぷりといたぶり、熱してやろう。

その他は、インゲンとアスパラを茹でサラダに。冷凍の鯖文化干しを焼き、キャベツの千切りやレタスを添えよう。と、こんな次第に纏まった。

今日のメインは、散々に考えて出てきた「ポテトサラダ」である。ジャガイモやニンジン、卵を茹でる。タマネギと胡瓜をスライスし、薄い塩水に晒した。後は、塩・胡椒、マヨネーズで和えるのみだが、その前に酢を少々加えた。

                    

茹で上がったインゲン・アスパラにオリーブオイルを垂らし、塩胡椒を軽く振った。豚バラ焼肉は、焼き肉のタレを仕上げに使うが、その前にシメジ・ピーマン・タマネギを一緒に炒めた。別々に炒める予定が、ついつい面倒になった次第。手抜きはいかんヨ!と、天の声がするぜ。

                         

とまあ~こんな具合で、今朝の遊びが終わった。弁当に詰める段になり、これまた最後は、飯を寄せて菜を押し込む。何時もとおりである。最後に、AJIROちゃんが贈ってくれた、「梅メンタイ」をご飯の上に載せた。

                      

私の方は今朝もスムージーとはならず、熱々飯に梅メンタイ、残りの菜でご飯を一膳となった。炊き立て飯の魅力には抗いがたし・・・。

 

 昨夜、熊本・菊池の山里で「きじの松田屋」を営む”松つあん”こと、MATUDAさんから電話を貰った。「あの本、読んでいる人が結構いるんだね。今日も三重の方ら電話を貰いましたよ。頑張れーって、激励されましたよ」とのこと。

松田さんを情報誌「ライフアシスト誌・夢のステージ」と云うコーナーで取材をさせて頂いたのは、四月のことであった。その情報誌の配布が、先月末頃から始まっているようだ。これを見た旧知の方々から、連絡が入るとのことであった。

                          

                          このデザインは、YOSHIOさん

二十一万部発行している情報誌なので、情報伝達力はあるはずだ。それにPR誌臭さはないので、隠れファンも多い。こう云う情報誌は長く、長ーく続いてほしいものである。

今週末には、WEB版もアップされるので、その方もご一読を願う次第である。これは、本誌に収録できなかった事柄をサイドストーリーとか、取材余話として掲載している。

余談ながら、MATUDAさんのホームページ「きじの松田屋」にあるBLOG・松つあん日記を読んでもらうと、山里でのシニアの暮らしがよく分かる。雉・ホロホロ鳥を飼い、田圃に果樹栽培、村落での世話役と大車輪なのだ。一週間程前から腰を痛めているようだが、働き過ぎに違いない。松つあん!年相応に働きなっせ!!

 

 

 

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飯・めし・メシ・・・

2014-07-06 | Weblog

7/6(日) 金曜日は豊洲の客先に直出、同行のスタッフとランチの後、東京ビックサイトで開催中の「国際ブックフェア」へと廻った。帰社は夕刻になり、直ぐに一杯会があった。そんなことでBLOGのアップをする暇もなかった。

昨日の土曜日、午後には出社のつもりでいたが、家人が出掛けたこともあり晩飯作りに方向転換して買い物等でサボってしまった。飯作りだけが生涯の友と、呑気なOYAJIであった。

7/4(金)そんなことで、弁当オヤジとしては先ずは金曜日の弁当から記そう。金曜日、台所に立った時刻は明け六つを過ぎていた。時間も少ないので、先ずは飯を炊き、菜の方も手軽にできるものに限定される。食材を並べて暫し思案の上、取り掛かった。

                          

焼き魚に「鮭」を、冷凍のニンニク・ニラ抜きの餃子を焼いた。煮物は野菜で「人参・ピーマン・シシトウに薄揚げとウインナー」であった。この日のメインは私的には「、胡瓜の酢物」である。胡瓜と、生姜に茗荷、大葉も刻んだフルコースの酢物であった。

                    

 以上で終わりにしようかと思ったが、何か淋しいものがある。卵料理だぜ、これがない。卵焼きばかりじゃ能が無いと「シメジの卵とじ」を作った。これなら、弁当箱が一杯でも、飯の上に載せればいいのだ。

                          

手間暇も掛けない割には、旨そうな弁当が出来上がった。旨そうな匂いに魅かれて小皿にアツアツの飯を、これに残った菜をのっけて喰ってしまったのである。誘惑にはてんで弱いOYAJIであった。

                    

 

7/5(土) 昨日の土曜日、朝から鮎を焼き、胡瓜の酢物、納豆卵焼きに胡瓜の塩麹揉み、チリメンジャコ、ラッキョウに梅干し、味噌汁を作って朝飯&ビールと食いしん坊OYAJIぶりが満開。喰いすぎだ~・・・。

                         

朝の飯がこなれないが、午後に出掛ける家人の代わりに、晩飯作りを考える破目になった。長女と孫が来たので、そのリクエストに応えようとの親心だ。

『何が喰いたいんだ?』と訊くと、長女はハンバーグと云い、孫はいっちょ前に「ラーメン」だと。それはそれとして、食いしん坊OYAJIは「炊き込みご飯」が脳裏を過ぎった。

先ずは食材の買い物だと、孫の手を引いて出掛けた次第。このチビが、なかなか言うことを聞かない。あっちこっちと、店に寄り道して遊ぶのだ・・・。余所のガキなら張ったおすのだが、そうもいかん。「オニーさん」と呼ぶ孫だ、気長に付き合うしかない。

野菜と鶏肉、挽肉に冷凍ギョーザなどを贖ってきた。長女のリクエストに応えて「ハンバーグ」作りが当確、私がリクエスト?の炊き込みご飯は「鶏と牛蒡の炊き込み」に、揚げj物は「鶏もも下とポテト」、茄子と挽肉の味噌炒め、サラダは紫タマネギに胡瓜・レタス、長女が好きな鮎も焼き・・・、ざっとこんなところであったか。孫の言うラーメンとは、ソーメンであったので大門素麺を茹でた。

                     

結構な量と多彩な晩飯ではないか・・・、ハンバーグが大うけであったが、我ながら美味かった。こん具合に喰いに走ったので、腹が苦しくて夜の街に出る気力が失せていた。実は、この日で渋谷の缶詰BARが閉店するとかの話があった。最後なら、顔を出さなくちゃ義理が立たんと思っていたのだが・・・勘弁してくんろう~。

 一夜明けた今朝の飯、流石に軽くしようと「豆腐・卵焼き・野菜スープ」に、昨晩の残り飯「鶏炊き込みご飯」一膳にした。午前に人に会う約束が有ったので、ビールも控えた次第。

 

 -酒場日記―

酒場日記の看板が泣くほどに酒を飲む気力が失せている。SHIMADAさんの忠告の所為ではなかろうが、飲むと疲れちまって二軒目に走る気力がない。いい若い者のがこれじゃいかんが、如何ともし難く、遺憾である。

木曜日、夕方になってからTOKIOが「ちょっと良いことがあったので、一杯付き合ってよ。奢りますから」と云う。そう云われちゃ付き合うしかない。何時もの「ローカーボ」で、となった。

確かに目出度い、嬉しい話だった。一年半経って、ようやく目出度い話が聴けた。弊社の「ICT教育ニュース」にバナー広告のスポンサーが付いたとの報告であった。単発の記事広告はあったが、レンジの長いバナー広告は初めて、嬉しい限りだ。

TOKIO曰く「小さな一歩ですが、会社にとって大きな一歩へと始まる一歩だと思います」だって。『そりゃあ、アームストロングが月面に降り立った時の一言だな。それにしても、ニュース担当にとちゃあそれぐらいの重さはあるな』と、祝った。ローカーボでのひとコマであった。私はこの後、地元学芸大学で生ビールと焼肉が待っていた。

                     

そして週末の金曜日、元スタッフのBINが人形町に来た。九か月振りに姿を見せたことになる。彼の贔屓だった「高松」にスタッフも何人か顔を出し、千葉・八千代市からUSUI老も駆け付けての飲み会であった。BINもすっかり元気な様子で何よりである。

                          

この夜も二軒目に行く元気なし。22時にはご帰還であった。この体たらくじゃ、酒場日記は早晩に廃止・廃刊の憂き目だな!

 

 

 

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肉じゃが

2014-07-03 | Weblog

7/3(木) 夜中に目覚めた、ラジオからNHKラジオ深夜便の放送が微かに流れていた。昨晩もラジオを点けたまま眠ったようだ。耳を澄まさなければ聴こえない音量だが、三橋美智也の「赤いランプの終列車」が流れてきた・・・。何時かとスマホに触れると、午前3時を過ぎたところであった。

深夜に流れてくるかつての流行歌は、昭和28年に流行った歌の特集のようだった。昭和28年と云えば、サラリーマン時代に花のニッパチトリオと称して、28年生まれの元気のいい後輩たちがいた。その中の一人、松山市在住のKATUTA君から電話を貰ったのは一昨日のことであったか。

花のニッパチと意気軒昂だった彼らも、早や還暦である。そう思えば、月日の速さを、年月を実感するばかり。そのKATUTA君が、再雇用だとかでこれまで勤めていた会社が運営する社会福祉法人に勤務することになったとの連絡であった。なんでも、施設長を仰せつかったとの由。

『自分の入所先が見つかってよかったな、それとも、もう入所したんか?』と冗談を言ったが、退職再雇用や退職をする年齢になっていた。そう思うと、俺や~一体どうすりゃいいんだ・・・、と云うことになるが。

かつての仕事仲間からのことと云えば、もう一人SHIMADAさんから昨日にお便りが届いた。つい先日、北千住でお会いしたばかりだが、その丁重な手紙には「お酒の滅茶のみをしないで、体を考えて自粛をされるように」と気遣いの文言があった。何時までたっても、やんちゃな私である。一緒に仕事をした当時から、ご心配の掛けどおしだ。

ラジオから話が脱線したが、深夜にそんなことを思っていた次第だ。結局眠れなくて、今日も五時に台所に向かった。

今日の弁当は何にしようかと、足元をみるとジャガイモが箱に一杯あった。これこれ、これで「肉ジャガ」だ、一品目が決まった。後の菜は、冷蔵庫を覗いてあれこれと物色する。冷凍のイカが長い間眠っている、これをバターソテーにしよう。野菜のセロリ・シメジ・ピーマンをオリーブオイル炒めで添えた。

                

そして、ふと思い浮かんだのが「牛蒡の揚げ物」である。こいつは酒の摘みでも結構にいける。弁当の菜にも合うんじゃないか?と云うことで、牛蒡揚げを作ることにする。揚げ物次いでに、鶏・茄子も少々唐揚げにしようとなった。最後はやっぱ「卵焼き」である。子供の頃、卵焼きは嫌いだったが、これも歳の功と云うやつかな?

                           

六時には弁当が完成。その後は暇なので改めて蒲団に寝転がったのであった。ゴロ・ゴロ、ごろごろ・・・、田舎の母からの電話で起こされてしまった。

 

 ―酒場日記―

昨夕、相棒のHIROさんが会社に来た。来週は引っ越しなので、荷物を整理するようにお願いをしていたので、その件である。一時間ほどで終わったようだ。時刻は丁度七時、二人で退社した。

HIROさんは、春先の肺の手術につづいて背骨の神経圧迫と、満身創痍に近い状況が続いている。痛みが酷かったそうだが、薬が効いて歩けるようになったとのこと。糖尿病のこともあるので、飯も酒も控え目にしているという。その成果か、体重も落ちてひと回り小さくなった。

そんなHIROさんだが、私と会うと、付き合い酒で暫し時を過ごしてくれるのが常。昨夜も二時間弱、二人で時を過ごした。場所は何時もの店である。店内の写真を見れば、ああ~あそこかとなろう。

                          

例によってハイボール、ハイボールオンリーであった。二人での話は、移転のこと、会社のこと、体のことと至って生真面目な内容であった。摘みは取らない私だが、HIROさんがオードブル風の盛り合わせをオーダーした。

                          

秋にでも、高知の田舎に遊びに来ないかと、誘った。鮎もあろうし、上手くいけば鰻が喰えるかもしれんよ。と、旨い餌をちらつかせたのであった。それに、畑で俺の焼芋もあるぜ・・・。安田川の鮎と鰻は、HIROさんも絶賛する味なのだ。タップリとご馳走するから、H女史と一緒に来てほしいものだ。

山里の空気と、ゆったりと流れる清流のオゾンを吸って、英気を養ってほしい・・・・。飯作りは任せてよ!(あんまり喰しちゃいかんか)

そんな夜であった。

 

 

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金運らしいが・・・

2014-07-02 | Weblog

7/2日(水) 今日のランチは、久々に貧乏コンビのYOSHIOと人形町・甘酒横丁入り口にあるマクドナルドに行くことになった。真夏のような暑さだと、ぶつぶつ言いながら歩いた。その道すがら、昨日の夢の話になった。と「あの夢はお金が、近々に大金が転がり込む予兆の夢のはずだ。夢占いでは、そうのようだからドリームジャンボを買った方がいいよ」と、YOSHIOが奨めた。

『バカ野郎~、そんなもんで銭が転がり込むなら、ニシキヘビでもハブでも皮をひん剥いて財布にしてやるぜ』なんて、馬鹿な話をしながらマックに向かった。100円のハンバーガーに、100円のアイスコーヒー、〆て二百円であるが、今日は大様な処をみせて『奢ってやるぜ』と見栄を張った。トレーを持って階上の席に向ったが、満席。

暑い中を甘酒横丁の先に在る公園まで歩いた。オヤジが二人、公園のベンチに腰を下ろしてマックを喰った、痩せたハトが物欲しげに寄ってきて、足元でウロウロする。ついほだされて、パンを千切って落とした。貧乏オヤジに餌をねだるとは、見どころのある鳩だと云える。

安マックを喰って、馬鹿話をしているだけと思われちゃYOSHIOが気の毒だ。一寸真面目に、事務所移転のレイアウトの変更や、名刺のことなどについて意見交換などしたのであった。

                      

                       昨日は移転先、内見会

 

さて、今朝の弁当だが。なんと四時半から台所に立っていたのだ。なんのことはない、四時に目覚めて、やることもないのでシャワーを浴びてから弁当作りとなったのだ。昨晩の帰りにスーパーで、生ハンバーグを買っておいた。これを焼き、添え物の野菜(ピーマン・シシトウ)をフライパンで焼く。これが、今日のメインメニューであった。

                       

冷凍の鯖文化干しとやらに、小松菜の胡麻いり卵炒めを作る。そして、定番の卵焼きとなるのだが、これが何時もとちょっと違う趣向になった。ネギと納豆入りになったのだ。出来上がる、ここまではよかったが・・・。家人が「匂いが付くからやめてよ」と、納豆の匂いの前に、きついクレームが付いたのであった。

                       

そう言われりゃそうだなと・・・、意気消沈で諦める処だったが、そうは簡単に諦めない。それじゃ匂いが籠らないようにと、納豆卵焼きをラップで包んで弁当に押し込んだのであった。ザマ~見ろだ!

                        

菜が出来上がった時間に、丁度ご飯も炊けた。熱々、ぬくぬくの湯気が立つ飯をかき混ぜて空気を入れる。弁当を詰め終えて、一寸残った菜で飯を軽く一杯頂いた。「炊きたての 飯の美味さや もう一膳」と、いきたいのをぐっとこらえて、スムージーであった。

処がスムージーの食材も不足だ、メキシコ産マンゴー(298円)と御庄ミカン、ミルクを入れたジュースのよう

なものになった。このマンゴーは、高知・安芸のマンゴーと味比べをするために買ってあった。種がやたら大きくて繊維が多い、大向こう電車道一直線、がぶり寄りで安芸マンゴーの快勝である。

スムジーの色合いは最高、マンゴーとミカン、ミルクの色が相俟って上品なレモン色、香りは微かな乙女の薫り?喉越しは初心な小生のごときに滑らかさであった。なんじゃ・・・それや?

                        

 

 ―酒場日記―

昨夜の酒場日記は開店休業、七時に会社を出て「ローカーボ」には一応立ち寄った。「今夜は、一杯だけだよ』と宣言した。その宣言通りに、ハイボールを一杯で切り上げた。正確に云うと、もう一杯やりたかったのだが小銭が(大銭も)なかったので断念したのだ。

そのお蔭か、早々と帰宅してソーメンを茹で、野菜と掻揚げの天麩羅を揚げた。冒頭のとおり、今朝は明け方に目覚めたのであった。

 

 

 

 

 

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