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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

天国、それは本当にあるのか? 第16回

2016年08月01日 | 日記

② 千年間の審判と王の役割

「また見ていると、かず多くの座があり、その上に人々がすわっていた。そして、彼らにさばきの権が与えられていた。また、イエスのあかしをし神の言を伝えたために首を切られた人々の霊がそこにおり、また、獣をもその像をも拝まず、その刻印を額や手に受けることをしなかった人々がいた。彼らは生きかえって、キリストと共に千年の間、支配した。・・・この第一の復活にあずかる者は、さいわいな者であり、また聖なる者である。この人たちに対しては、第二の死はなんの力もない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストと共に千年の間、支配する」(黙示録 20:4,6)。

 ここで特に言及しなければならないことは、千年の間、救われた聖徒たちが行う重要な課題についてです。それは、聖徒たちが悪人たちを審判することです。彼らはイエス様と共に審判の席に座り、「記録の書」に記された内容によって裁くことになります。彼らの前には、「生命の書」と「死の書」が置かれ、「生命の書」には聖徒たちの善い行いが記録され、「死の書」には悪人の悪い行いが記録されています(ダニエル 7:10参照)。聖徒たちがイエス様と共に審判の席に座り、悪人たちに裁きを下す時、当然受けなければならない刑罰は、彼ら自身の行為によって決定し、その決定が彼らの名前の横に書き留められます。この審判は、聖徒たちが天に上げられてから1000年間、天の都で、イエス様と共に暮らしながら、行うことになります。その時聖徒たちは、なぜある人が天に来られなかったのかについて、はっきりと理解することになるでしょう。

 3.天を思いながら

千年という歳月は、永遠に感じるかもしれません。永遠の幸福と喜びの中で、聖徒たちは千年間を過ごすのです。堕落したことのない他世界の住民たちに会うため、無限に広い宇宙と他の星の世界を旅行することを想像してみてください!考えただけでも、私たちは勇気と希望を得られるはずです。

 あなたは信仰生活を続ける中で、信仰を理解してもらえなくて寂しさを感じたり、反対や裏切りなど数多くの試練に直面したりするかも知れません。しかし、そのような時、暗い闇の世界から目を離し、天にある本当のふるさとの栄光を見つめて下さい。そして、あなたの思いを天の喜びに集中するのです。そうすれば、あなたはこの世界にある試練と失望を乗り越えることが出来るようになるのです。あなたを迎えるために用意されている、光あふれる故郷と、勝利者に与えられる黄金の冠、美しい琴の音楽、そして愛する主がそこにおられるのです。イエス・キリストの恩恵によって、私たちはそこに行くことが出来るのです。しかしそれは同時に、私たちが、イエス様を愛するゆえに全てを捧げ完全に主のものとなったからなのです。