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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

赦しの力 デイビット・カン説教より 第4回

2016年08月20日 | 日記

私が言っていることを理解されるなら、皆さんもその経験にあずかることが出来ます。皆さんもぜひ理解していただかなければならない、これは重要な概念です。

真の謙遜とは何か、皆さんご存知ですか?これは単なる行為ではありません。これは何か自慢するようなものではありません。私は博士号を持っているとか、こういう偉業を成し遂げた、ああいうことをやったとか、私はもう何百人の人にバプテスマを授けたとか、人間的に自慢しようと思ったら出来ますが、そんなことはしません。私は謙虚にならなくてはならないのです。私の品性のうちに誇り、プライドの居場所があってはならないのです。しかし、謙虚な態度をとることが本当の謙遜ではないんです。私には何も自慢するものがないと感じる時、自分の救いに関して、何一つ、自己推薦するものがない、自分でやったというものがない時、99%ではなくて100%、すべては神様の恵みによるものであることを深く悟る時、そして心から、心の底からそのことを信じる時、何も自慢できるものはなくなるんですね。 

神様のみ前にひざまずく時、本当に心のへりくだった状態になります。心から、あなたの創造のみ業である救いを、心から感謝します、と言うことが出来るようになります。私たちは、自分の救いを勝ち取るようものは何も持っていません。すべては神様の恵みなのです。そのように感じる時、その時、真の謙遜を持つことが出来るようになるのです。

再臨の後に、すべての聖徒たちがガラスの海でイエス様を取り囲んで集まります。イエス様がアダムの名をお呼びになる時、アダムがイエス様の前に現れます。人類史上最も背の高いアダムを、私たちは見ることになります。背丈も姿も、全てが完ぺきな人物を見ることになります。ご存知ですか?私たちが死んで、かりに死んで、再臨の時よみがえったとしても、同じ身長で甦るのです。そしてガラスの海に救われた人たちが集まったら、アダムの時代からアブラハム、そしてさらに私たちの時代に至るまで、人類がどのように退化していったか、一目で分かるでしょう。そこに集まった私たちは、小人のように感じることでしょう。

一度アメリカンフットボールの選手に会ったことがあります。私もあまり背の低い方ではないんですけども、彼の前に立ったら、私の頭が彼の胸のあたりにありました。本当に大きな人でした。彼は巨人で自分は小人のように感じました。その時、「お会いできて嬉しいです」と言いました。「顔と顔を会わせられて嬉しいです」と言ったら、「違うでしょう、胸と顔でしょう」と言われました。