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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

血の花婿 デイビット・カン説教より  第9回

2016年08月15日 | 日記

  宝の民の条件

 チッポラは、どうして子供に割礼を施さなかったのでしょうか?不憫だからと思って、痛いからと思って、哀れだと思って、そこまでしなくてもいいのではないかと思って、大変になるだろう、辛いだろうと言って、子供にさせなかったのです。彼女は神様の言葉の霊的な意味をしっかりとらえていなかったのです。私にもそのようなことがあるかもしれません。

皆さん、バスクリスチャンと言う言葉をご存知でしょうか?バスクリスチャンと言うのは、同じバスに乗っているのですけど、自分たちの目的地が来たら降りてしまうのです。神様の御心に真直ぐに行けばいいのですが、途中で降りてしまうのです。そのような多くのバスクリスチャンがいるのです。

皆さん、現代の神様の民は、人々に、バビロンから出なさいと言うべき人々ですね。今でも、バビロンの教えから出る人々がいます。その人たちは、神様の戒めを守る人となる人たちです。神様の戒めを守るというのは、神様を愛することです。そして神様を愛することを証明する者は、神様の戒めを守る人のことです。私たちは天使の保護を受けることが出来るように、心をつくして主とその戒めを愛します。

 皆さんは、どのような戒めを破っているでしょうか。どのような戒めに背いているでしょうか。聖書はこのように言っています。あなた方は「安息日を覚えて聖とせよ」。多くの人々が礼拝を終わって教会を出て行くと、どうするでしょうか?ショッピングに行く、食料を買いに、食べ物を買いにスーパーへ行きます。聖書ははっきり言っています。「安息日を清く正しく覚えて聖とせよ」と。

ある人々は、イエス様がもう十字架で死んで下さったので、十戒を守る必要がないと言います。ところが聖書は言っていますね。「安息日を覚えて聖とせよ」と、「天と地とを造られた神様を礼拝しなさい」と言われています。そうすると人々は、そこまでする必要はないと、いろいろ理屈をつけて、神様が言われた通りにしようとしません。お分かりでしょうか。そのような心はチッポラの心なのです。

主は約束と命令を通して私たちと契約を結ばれました。私たちが契約を守るなら、戒めを守るなら、「あなた方は私の民となり、私はあなた方の神となり、特別な宝の民となる」と、約束されました。ですが、不便だからそこまでする必要はないと言うのです。そうではないですね。私たちは主の戒めに従い、主の御言葉を行う時、自分がどう思おうと、他の人がどう言おうと、主が言われたので主のみ心のままに、戒めに従うのです。それが、私たちの主に対する愛なのです。聖書はそのように言っています。皆様の内に、何か不服従なものはないでしょうか?

モーセがエジプトの民を導き出したように、私たちも御霊に満たされて、バビロンの中で偽りの酒に酔っている人々から、主の民を導き出さなければなりません。そのためにどうしたらよいでしょうか?モーセの経験が必要なのです。モーセの経験から多くの事を学ぶことが出来るのです。