ここで中国で経験したことを思い出したのですけれど、ある田舎の小さな家におりました。その場所に90人の中国教会の指導者たちが、私に会いに集まってきたのです。小さな家にぎっしり人が集まっていました。残されたわずかな隙間に私は立つしかありませんでした。もう全然動くスペースはありません。もうぎっしり人で埋まっていたわけです。これは実は秘密の集会でした。もう本当に田舎の家で、その集会を行っていました。話している最中に、天井から何人かの首が出てくるのに気付きました。びっくりしました。「なんだこれは!」と思いました。人の首が天井からつり下がっているわけです。分かったのは、何人かの人たちが、天井裏で寝ていたのです。起きてみたら下は人がいっぱいで、降りるに降りられない状況だったのです。そこで、屋根裏から首だけだして私の顔を見ていたのです。もうそれくらい人で埋まっていたのです。この時も、このペテロの家でのイエス様の奇跡の場面を思い出しました。
聖書のこの場面を想像してみて下さい。中風患者の4人の友人たちが、屋根を破って、壊して降ろそうとしていたんです。屋根が壊れるとゴミが、ホコリが落ちてきます。木の枝とか、色んなものが上から落ちてきます。屋根に穴をあけたんですね、小さい穴ではありません。大きな穴でした。担架か何かに乗せられた男の人をつり下ろすための穴でしたから・・・。その家の主であるペテロもそこにいました。ペテロがどういう人であったかみなさんご存知ですよね、「あ、私の家なのに」と思ったかも知れません。「私の家の天井、あ、私の家を壊している。ちゃんと保険に入っているでしょうね?私の家を壊しているじゃないか。しかも神のみ子、救い主であられる方の伝道集会を邪魔している」。その時の、日ごろせっかちなペテロの反応、想像できますか?
その時イエス様があることを言われます。イエス様のみ言葉で、そこにいた人々は静かになりました。イエス様は下りてくる男をごらんになりまして、その中風の男の本当の願い、ここに来た本当の目的をイエス様はすぐに悟られました。病気を癒してもらうことではなく、罪を赦してもらうことだったのですね。私たちがイエス様のみ許にやってくる時、それが私たちの真の願いではないでしょうか。祝福してもらうためではなく、人生を成功するためでもなく、本当には私たちはイエス様に赦しをいただきたいのです。