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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

新連載 赦しの力 デイビット・カン説教より 第3回

2016年08月19日 | 日記

救いは創造の業

 あるニュースをお話ししたいと思いますけど、実は私たちの救いというのは、創造の業なのです。ただ私たちを過ちから救い出すことではありません。死んだ状態から救い出すことではありません。これは純粋な創造の業なのです。ですから、救い主の代わりに、そのような働きの出来る人や存在はどこにもいないわけです。救いというのは、再創造の業なのです。私たちをキリストにあって新しいものへと創り変えることなのです。イエス様が私たちをお赦しになる時、天の記録の書から私たちの罪の記録を消し去られるだけではないのです。私たちの過去の罪を赦してあげる、忘れてあげるだけではないんです。それ以上の意味があります。さらなる意味があるわけです。ですから多くのクリスチャンが、自分たちは赦されていると言いながら、見れば、本当には赦されていないと思われる人たちがいるわけです。

救いが再創造されることであるという、この単純な理解を持つことが出来たら、聖化、清められる過程の教理もすぐ理解できるようになります。聖化とはどんなものか、完全に至る経験とはどういうものかということを、多くの人たちが議論し合いますが、このことを申し上げることが出来ます。「私は日に日に神様の恵みによって清めの経験にあずかっている」、そうなんです。私はそのことに強い確信を抱いています。私がそういうことを言ったからといって、牢屋に投げ込みたいと思われますか?私は日に日にイエス様の力によって完全へと向かっています。彼の恵みによってです。皆さん、そこに何か間違いがありますか?なぜなら、私は聖化と完全の意味を、その性質を知っているからです。これは私の力、努力と何の関係もありません。これは神様の創造の業なのです。神様のみ心に私が委ねている限り、毎日私がイエス様に心を捧げ続ける限り、救い主イエス様の祭壇に自らを捧げ続ける限り、イエス様が救い主としての力を、私の魂の内に発揮なさるのです。