再びイエス様は中風の男をご覧になりまして、「起きて床を取って家に帰りなさい。もう床に伏している必要はない。起きて家に帰りなさい。ここに床を置いたままにしておいたらまた戻ってきて伏したいと思うかもしれないから、この床も持って帰りなさい。あなたの過去にとらわれないで、前に進みなさい」と言われたのです。「もうあなたは赦された者だから、あなたは中風患者であったけれども、赦された者なのだから、私があなたの罪を赦したのだから、私が創造者としてあなたに命を与えたのだから、その私が、あなたの罪は赦されたと宣言したのだから、誰もそれを取り消すことはできません。私は神だから、私は有って在るものだから、その私があなたの罪を赦しました。なぜなら、あなたが私を信じてくれたからです。あなたはそれだけ私に願い求めました。あなたの心の内を私は読むことが出来ます。あなたの心の深い求めを、私は見ることが出来ます。あなたの熱意を見ることが出来ます。あなたの罪は取り去られました。あなたの罪をもう深い淵に投げ込みました」。これが創造の業なのです。
直ちにその男は立ち上がりまして、自分の床を取って歩き始めました。彼は中風患者として長年床に伏していた人でしたが、もはやそのような状態ではなくなりました。
この物語は、皆さんにどういう事を教えますか?私たちはこのような状態で、このように神様の声を聞くべきなのです。この物語は、説教のいい題材ではなく、私は人生の現実の出来事を示しているものとして用いたいのです。イエス様の行われた奇跡の一つひとつは、イエス様の教えでした。教訓でした。イエス様はご自分のさまざまな奇跡を通して、私たちにイエス様の救いを教えようとしておられたのです。
私たちが赦された時、私たちは罪の縄目から解放されます。かつて私たちの魂は、罪の力、サタンの力に捕らわれたままになっていました。しかしその悪魔の力から、私たちは解き放たれたのです。そして自由人として歩くことが出来るようになっています。新たな命を受けた者として・・・。何と言うことでしょう。もはや悪い思いにとらわれることはありません。私たちの罪深い性質、罪の傾向に支配される必要はないのです。もはや世的な偶像を追い求めることもありません。この世で経済的に成功して大金持ちになりたいとかそういう願望に捕らわれることもありません。もう自由にされます。私達は色んな、あの罪この罪に勝利したいと思って来ましたね。しかし、それが出来ないでおりました。なぜなら罪の奴隷であったからです。しもべ、罪の奴隷です。しもべというのは、その主人に従っていかなければいけないのですね。しかし、その罪の奴隷ではなくなって、私たちを捕らえていたものがなくなってしまいました。もう罪から自由になり、自由を、自由の力を、心の底から感じることが出来るようになります。そして、神様を讃えるためにこれから先ずーっと生きることが出来るんだと、そのような新しい力が私の魂に入ってきた、そのような自由にされた、解き放たれた経験を、皆さんなさったことがありますか?
私は若いころ韓国の軍隊に徴兵されまして、3年ほど軍におりました。兵役を解かれて家に帰って来た時、私はもう叫びたい気持ちでした。私の友人の一人は、軍に入って武器をとることを拒み、安息日を守ろうとしたので7年間刑務所に入れられました。そこでは毎年恩赦と言うのがあって、誰かが選ばれて懲役刑を受けていた人が釈放されたんですね。その懲役刑を受けていた友人が私に語ってくれたんですけれども、毎年毎年、恩赦の時に自分の名前が発表されるのを期待していたんだけれど、毎年失望に終わったと言っていました。
もしイエス様が私の名前を呼んで下さったら、イエス様の再臨の時に、私はもう本当に心の底から叫ぶだろうと思います。「はい、ここにおります」、と普通の声で言うのではなく、「はーい、こちらにおりまーす!」と大声で言うでしょう。もう最高のボリュームを出して叫ぶでしょう。そしてイエス様のもとに走っていくでしょう。この罪深い世から完全に解放された喜びをもって・・・。その日を私は待ちわびております。