私たち兄弟が小さかったころ、母がよく話してくれたことがあります。母はとても話が上手で、物語とか私たちによく聞かせてくれました。彼女は霊感の書をしっかり隅から隅まで読む人で、深い理解を持っている人でした。そして聖書の、作り話ではなくて本当の、実際に起こった物語を私たちに語ってくれたのです。かつてこのようなことを私によく言っていました。「デイビット、天国で私がイエス様に会った時、最初にしたいのは、私の手をイエス様の胸に置いて、このような質問をしたいの。私はこのあなたの胸を何度も、本当に何度も痛めましたね、どうかお赦し下さい。私は今天国に来させていただきました。今からのち、永遠にわたって私はあなたのみ名を讃え続けます」。母のそのような言葉が心に深い感銘を与えました。
なぜ今皆さんに、こういう話をしているかと言いますと、多くのクリスチャンが、自分たちの救いの経験について正しい理解を持っていないからです。赦しとは何でしょう。赦しには赦す力というものが働きます。神様は創造主であられます。それはどういう意味でしょうか?神様が何か言われると、それは単に言葉として無意味に返ってくるものではありません。神様が言葉を発せられると、何かが起こるんです。皆さん、これが救い主であられます。造り主であられます。「光あれ」と言われたら光が現れたんです。「天に太陽が現れよ」と言われたら、太陽が出てきたんです。神さまが何か言われたら、その通りに創造の業がなされました。それが神様であられます。ですから、神様が私たちをお赦しになる時、何かが起こるのです。それは創造以外の何ものでもありません。それは創造の力なのです。そのことを皆さんに理解していただきたいと思っているわけです。