1)聖霊はどなたでしょうか?
聖霊はある種の力や影響力でなく、人格的存在であられる神様です。
遅きに失した感がありますが、一般的にクリスチャンが聖霊について誤解している点を明らかにする必要があるようです。大多数の人が聖霊を、まるで神様から出てくる影響力や力、あるいは能力のような非人格的な物質として理解しています。しかし、イエス様は聖霊を一つの人格をお持ちの方として紹介されました。主は聖霊を「彼」、と呼び、ご自身と同等の人格を備えている個の存在として言われました。
第2コリント3章17節でパウロは、「主は霊である。そして、主の霊のあるところには、自由がある」として、主の霊、まさに聖霊を人格ある存在として述べています。また、ペテロも「聖霊を欺き…」(使徒行伝5:3)と言い、聖霊を人格的存在として理解していたことがわかります。ヘブル9章14節は、「永遠の聖霊」と呼んでいます。また、詩篇139篇7節は、「わたしはどこへ行って、あなたのみたまを離れましょうか」とあることからも、聖霊は神様の属性を持つ神様であられることを私たちは悟ります。
また、イエス様がバプテスマを受けられたときに、父なる神様は天から、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなうものである」と言われました。イエス様がヨルダン川の水から上がられると、聖霊が鳩のような形で主に下ってきました。この事実からも聖霊が神様の属性を持たれる三位一体のお一人であるということを理解することが出来ます。そこでイエス様は、私たちが新しく信仰を持った人たちに、「父と子と聖霊」の名によってバプテスマを授けるように命じられたのです。これらの理解は、私たちが聖霊をどのようにとらえるべきかについて大きな助けを与えることになります。
聖霊は人格的な神様です。イエス様が、人格的な個性を持った神様であられるのと同じようにです。従って、私たちはどのようにすれば、聖霊の力を受けることができるか知ろうと努めるより、どうすれば聖霊に用いられる人になれるかについて多く瞑想しなければなりません。聖霊は、従順な人々の中に存在しておられます。「わたしたちはこれらの事の証人である。神がご自身に従う者に賜わった聖霊もまた、その証人である」(使徒行伝5:32)。