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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

血の花婿 デイビット・カン説教より  第2回

2016年08月08日 | 日記

神様の箱を担ぐもの

 しかし聖書は、私たちにこのように述べています。今、私たちは神様の契約の箱を担ぐものとして聖なる者とならなければならない、と述べているのです。聖書には、モーセの経験と関連があるイザヤ書52章11節にこうあります。

去れよ、去れよ、そこを出て、汚れた物にさわるな。その中を出よ、主の器をになう者よ、おのれを清く保て」。

皆さん、契約の箱を担ぐ時、祭司たちが箱を担いで最も先頭に立ちました。イスラエルの民が出エジプトをする時も、荒野を旅する時も、カナンの地に入る時も、彼らはどうしましたか?最も先頭に祭司たちが立って、神様の民を導きました。彼らが立ち止まったら主の民はそこにとどまり、進むなら彼らは進んでいきました。

皆さん、契約の箱を担ぐ者たちは、その箱の中にある主の戒めとみ言葉に、徹底的に従う人にならなければなりませんでした。彼らは罪から離れ、悪から分離された人々とならなければならなかったのです。

皆さん、「聖なる者」という言葉は、神様に完全に屈服して神様の御用のために特別に区別された者ということでした。神様の御言葉に従順な者、それが聖なる者です。

そこで、現代の神様の民が天のカナンの地に入る旅をする時、先頭に立って契約の箱を担ぐためには、心を整え備える経験が、まず私たちの経験とならなければならないのです。主の導きによって人々を救うために「バビロンから出よ」(エレミヤ50:8、黙示録18:4参照)と呼ぶべき私たち、エジプトの奴隷から解放するために行く人々は、その品性と信仰が、神様の箱を担ぐ者とならなければならないのです。

今、第2のペンテコステの働きが起ころうとしています。最後の収穫のための後の雨、春の雨を求め、聖霊の働きによって力を受け、獣の刻印の苦難の経験を通り抜け、大いなる叫びを上げる人々が現れる必要があります。私そのことを心から信じています。この世はもう長く続かないのです。