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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

血の花婿 デイビット・カン説教より  第3回

2016年08月09日 | 日記

割礼と契約関係

 もう一度本文を読んでみたいと思います。出エジプト4章の24節から26節です。

さてモーセが途中で宿っているとき」。今モーセは、神様の召しを受けてミデアンの荒野から神様の民を救うために、開放するために、エジプトへ行く途中だったのです。

さてモーセが途中で宿っている時、主は彼に会って彼を殺そうとされた」。

とても変な御言葉ですね、不思議な御言葉です。その時チッポラは、奥さんは、「火打ち石の小刀を取って、その男の子の前の皮を切り、それをモーセの足につけて言った、『あなたはまことに、わたしにとって血の花婿です』。そこで、主はモーセをゆるされた。この時『血の花婿です』とチッポラが言ったのは割礼のゆえである」。

とても不思議な御言葉です。皆さん、割礼を受けるということは、男性にとって健康的な理由だけではないのです。割礼とは、私たちの心の中にある信仰が外部に現れたしるしなのです。ですから使徒パウロは、ローマ人の手紙4章で、割礼とは、私たちの心の中にある信仰、割礼を受ける前にすでに持っていた信仰を表現したものだと、説明しているのですね。割礼を受けること自体が象徴、しるしなのですけど、その象徴は、心の中の霊的謙虚を示すものでした。割礼自体は、体に祝福となり健康に良いものだったのですけど、神様が言われる割礼とは、私たちが神様の戒めに従い、心の中にある汚れや偶像、そういったものを切り捨て、神様のものとなったことのしるしでした。割礼を受けることが人を救うものではありませんでしたが、割礼を受けなかった者は、契約を結んだ神様の民ではありませんでした。割礼を受けることが救われることではないのですけれども、そうしなければ契約関係に入ることは出来ませんでした。ですから割礼は契約のしるしとして、とても重要なものでした。

そこで、エレミヤ書4章4節にこのように書かれています。

ユダの人々とエルサレムに住む人々よ、あなたがたは自ら割礼を行って、主に属するものとなり、自分の心の前の皮を取り去れ」。

人が主に属する者となるためには、自分の罪の習慣、弱さ、偶像、傲慢、そういったものを、全部自分の心から切り取ってしまわなければならない、割礼はそのことを意味しているのですね。