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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

赦しの力 デイビット・カン説教より 第10回

2016年08月26日 | 日記

再びイエス様は中風の男をご覧になりまして、「起きて床を取って家に帰りなさい。もう床に伏している必要はない。起きて家に帰りなさい。ここに床を置いたままにしておいたらまた戻ってきて伏したいと思うかもしれないから、この床も持って帰りなさい。あなたの過去にとらわれないで、前に進みなさい」と言われたのです。「もうあなたは赦された者だから、あなたは中風患者であったけれども、赦された者なのだから、私があなたの罪を赦したのだから、私が創造者としてあなたに命を与えたのだから、その私が、あなたの罪は赦されたと宣言したのだから、誰もそれを取り消すことはできません。私は神だから、私は有って在るものだから、その私があなたの罪を赦しました。なぜなら、あなたが私を信じてくれたからです。あなたはそれだけ私に願い求めました。あなたの心の内を私は読むことが出来ます。あなたの心の深い求めを、私は見ることが出来ます。あなたの熱意を見ることが出来ます。あなたの罪は取り去られました。あなたの罪をもう深い淵に投げ込みました」。これが創造の業なのです。

直ちにその男は立ち上がりまして、自分の床を取って歩き始めました。彼は中風患者として長年床に伏していた人でしたが、もはやそのような状態ではなくなりました。

この物語は、皆さんにどういう事を教えますか?私たちはこのような状態で、このように神様の声を聞くべきなのです。この物語は、説教のいい題材ではなく、私は人生の現実の出来事を示しているものとして用いたいのです。イエス様の行われた奇跡の一つひとつは、イエス様の教えでした。教訓でした。イエス様はご自分のさまざまな奇跡を通して、私たちにイエス様の救いを教えようとしておられたのです。

私たちが赦された時、私たちは罪の縄目から解放されます。かつて私たちの魂は、罪の力、サタンの力に捕らわれたままになっていました。しかしその悪魔の力から、私たちは解き放たれたのです。そして自由人として歩くことが出来るようになっています。新たな命を受けた者として・・・。何と言うことでしょう。もはや悪い思いにとらわれることはありません。私たちの罪深い性質、罪の傾向に支配される必要はないのです。もはや世的な偶像を追い求めることもありません。この世で経済的に成功して大金持ちになりたいとかそういう願望に捕らわれることもありません。もう自由にされます。私達は色んな、あの罪この罪に勝利したいと思って来ましたね。しかし、それが出来ないでおりました。なぜなら罪の奴隷であったからです。しもべ、罪の奴隷です。しもべというのは、その主人に従っていかなければいけないのですね。しかし、その罪の奴隷ではなくなって、私たちを捕らえていたものがなくなってしまいました。もう罪から自由になり、自由を、自由の力を、心の底から感じることが出来るようになります。そして、神様を讃えるためにこれから先ずーっと生きることが出来るんだと、そのような新しい力が私の魂に入ってきた、そのような自由にされた、解き放たれた経験を、皆さんなさったことがありますか?

私は若いころ韓国の軍隊に徴兵されまして、3年ほど軍におりました。兵役を解かれて家に帰って来た時、私はもう叫びたい気持ちでした。私の友人の一人は、軍に入って武器をとることを拒み、安息日を守ろうとしたので7年間刑務所に入れられました。そこでは毎年恩赦と言うのがあって、誰かが選ばれて懲役刑を受けていた人が釈放されたんですね。その懲役刑を受けていた友人が私に語ってくれたんですけれども、毎年毎年、恩赦の時に自分の名前が発表されるのを期待していたんだけれど、毎年失望に終わったと言っていました。

もしイエス様が私の名前を呼んで下さったら、イエス様の再臨の時に、私はもう本当に心の底から叫ぶだろうと思います。「はい、ここにおります」、と普通の声で言うのではなく、「はーい、こちらにおりまーす!」と大声で言うでしょう。もう最高のボリュームを出して叫ぶでしょう。そしてイエス様のもとに走っていくでしょう。この罪深い世から完全に解放された喜びをもって・・・。その日を私は待ちわびております。


赦しの力 デイビット・カン説教より 第9回

2016年08月25日 | 日記

心の願いを聞かれる主

 イエス様がこう言われました。「子よ、あなたの罪はゆるされた」(マルコ2:5)。イエス様は彼の心の内をご存じだったのですね。彼の長い間の祈りを、イエス様は聞いておられました。イエス様から赦しを、救いをいただくためならどんなことでもするという彼の覚悟を、イエス様は知っておられました。この当時のユダヤ教会において、この社会においては、自分は罪のゆえにこのような呪いを受けていると思っていたわけです。

「子よ、あなたの罪はゆるされた」とイエス様がこの男に言われた時、このイエス様の優しい声が、彼の耳に心地良く届きました。そして彼の体内にまで入っていったんです。彼のお腹の中、肝臓、腎臓至る所に、筋肉にも、イエス様のこの御言葉が体中に浸透して行きました。そして彼は、新しく創られた者になっていったのです。

「メシアであられる救い主イエス様が、私に『あなたの罪は赦された』と言ってくださった!私がここに来てから、『赦して下さい』とも言わないうちに。でも神様はご存知でした。私の心のふかーい願望をご存知であられた。このお方は神様に違いない、このお方が、私の罪は赦されたと言われた」。

その時彼の内に再生の力が働いたのです。新しく創られました。再創造がなされました。長年にわたって彼は、この赦しの言葉を聞くことを待ちわびていたのです。他に誰も、彼にこのような言葉を言ってくれる人はいませんでした。本当の意味において・・・。

この時、同時にイエス様はパリサイ人、律学者たちの心の思いも見破られました。彼らはイエス様を、「この男は神を冒涜(ぼうとく)している」と思ったわけです。しかしイエス様は、「あなた方は私が冒涜の罪を犯していると言うのか?あなた方に命を与えたのは私ですよ。私に赦しの力があることを、あなた方は悟らないのですか。では、『あなたは赦された』と言うのと『床を取って家に帰りなさい』と言うのとどちらがやさしいか」と言われました。みんな黙っていました。一言も発することが出来なかったのです。ペテロですら息を殺して黙っていました。「これはどういう意味だろう?イエス様は何を言おうとしておられるのだろう?」皆もう破れた天井のことなど忘れていました。これはもう生と死にかかわる問題であったわけです。


赦しの力 デイビット・カン説教より 第8回

2016年08月24日 | 日記

ここで中国で経験したことを思い出したのですけれど、ある田舎の小さな家におりました。その場所に90人の中国教会の指導者たちが、私に会いに集まってきたのです。小さな家にぎっしり人が集まっていました。残されたわずかな隙間に私は立つしかありませんでした。もう全然動くスペースはありません。もうぎっしり人で埋まっていたわけです。これは実は秘密の集会でした。もう本当に田舎の家で、その集会を行っていました。話している最中に、天井から何人かの首が出てくるのに気付きました。びっくりしました。「なんだこれは!」と思いました。人の首が天井からつり下がっているわけです。分かったのは、何人かの人たちが、天井裏で寝ていたのです。起きてみたら下は人がいっぱいで、降りるに降りられない状況だったのです。そこで、屋根裏から首だけだして私の顔を見ていたのです。もうそれくらい人で埋まっていたのです。この時も、このペテロの家でのイエス様の奇跡の場面を思い出しました。

聖書のこの場面を想像してみて下さい。中風患者の4人の友人たちが、屋根を破って、壊して降ろそうとしていたんです。屋根が壊れるとゴミが、ホコリが落ちてきます。木の枝とか、色んなものが上から落ちてきます。屋根に穴をあけたんですね、小さい穴ではありません。大きな穴でした。担架か何かに乗せられた男の人をつり下ろすための穴でしたから・・・。その家の主であるペテロもそこにいました。ペテロがどういう人であったかみなさんご存知ですよね、「あ、私の家なのに」と思ったかも知れません。「私の家の天井、あ、私の家を壊している。ちゃんと保険に入っているでしょうね?私の家を壊しているじゃないか。しかも神のみ子、救い主であられる方の伝道集会を邪魔している」。その時の、日ごろせっかちなペテロの反応、想像できますか?

その時イエス様があることを言われます。イエス様のみ言葉で、そこにいた人々は静かになりました。イエス様は下りてくる男をごらんになりまして、その中風の男の本当の願い、ここに来た本当の目的をイエス様はすぐに悟られました。病気を癒してもらうことではなく、罪を赦してもらうことだったのですね。私たちがイエス様のみ許にやってくる時、それが私たちの真の願いではないでしょうか。祝福してもらうためではなく、人生を成功するためでもなく、本当には私たちはイエス様に赦しをいただきたいのです。


赦しの力 デイビット・カン説教より 第7回

2016年08月23日 | 日記

赦された中風患者

 ここで『マタイによる福音書』9章を見ていただきたいんですけど、9章1節から8節までです。

さて、イエスは舟に乗って海を渡り、自分の町に帰られた。すると、人々が中風の者を床の上に寝かせたままでみもとに運んできた。イエスは彼らの信仰を見て、中風の者に、『子よ、しっかりしなさい。あなたの罪はゆるされたのだ』と言われた。すると、ある律法学者たちが心の中で言った、『この人は神を汚している』。イエスは彼らの考えを見抜いて、『なぜ、あなたがたは心の中で悪いことを考えているのか。あなたの罪はゆるされた、と言うのと、起きて歩け、と言うのと、どちらがたやすいか。しかし、人の子は地上で罪をゆるす権威をもっていることが、あなたがたにわかるために』と言い、中風の者にむかって、『起きよ、床を取りあげて家に帰れ』と言われた。すると彼は起きあがり、家に帰って行った。群衆はそれを見て恐れ、こんな大きな権威を人にお与えになった神をあがめた」。

 これはイエス様が行われた驚くべき奇跡の一つです。イエス様には赦す力があるということを人々に理解させるために、この奇跡を行われたんですね。『マルコによる福音書』1章と2章を見ると、この奇跡を行われた家は、他でもない弟子ペテロの家であったことが分かります。その家には大勢の群衆が入ってきて周りを取り囲んでいたので、家の中にいたイエス様の所に近づいて行く隙間はなかったわけです。この中風の男を連れてきた4人の人たちは、イエス様の所までその人を連れて行く隙間がないことに気が付いたわけです。仕方なく4人の男たちは屋根に上って、そこに穴をあけて中風の患者を下まで降ろしたわけです。イエス様のもとまで彼を降ろしました。なぜなら、この中風の男は本当にイエス様にお会いしたいと、ずっと願っていたからでした。彼に唯一残された道でした。イエス様にお会い出来るか、そうでなければ死ぬかのどちらかでした。ですから、イエス様にお会いしたかった彼にとって、その家を取り囲んでいた群衆はある種の障害物であったわけです。


赦しの力 デイビット・カン説教より 第6回

2016年08月22日 | 日記

私たち兄弟が小さかったころ、母がよく話してくれたことがあります。母はとても話が上手で、物語とか私たちによく聞かせてくれました。彼女は霊感の書をしっかり隅から隅まで読む人で、深い理解を持っている人でした。そして聖書の、作り話ではなくて本当の、実際に起こった物語を私たちに語ってくれたのです。かつてこのようなことを私によく言っていました。「デイビット、天国で私がイエス様に会った時、最初にしたいのは、私の手をイエス様の胸に置いて、このような質問をしたいの。私はこのあなたの胸を何度も、本当に何度も痛めましたね、どうかお赦し下さい。私は今天国に来させていただきました。今からのち、永遠にわたって私はあなたのみ名を讃え続けます」。母のそのような言葉が心に深い感銘を与えました。

なぜ今皆さんに、こういう話をしているかと言いますと、多くのクリスチャンが、自分たちの救いの経験について正しい理解を持っていないからです。赦しとは何でしょう。赦しには赦す力というものが働きます。神様は創造主であられます。それはどういう意味でしょうか?神様が何か言われると、それは単に言葉として無意味に返ってくるものではありません。神様が言葉を発せられると、何かが起こるんです。皆さん、これが救い主であられます。造り主であられます。「光あれ」と言われたら光が現れたんです。「天に太陽が現れよ」と言われたら、太陽が出てきたんです。神さまが何か言われたら、その通りに創造の業がなされました。それが神様であられます。ですから、神様が私たちをお赦しになる時、何かが起こるのです。それは創造以外の何ものでもありません。それは創造の力なのです。そのことを皆さんに理解していただきたいと思っているわけです。