マイmy巷話

マイMy巷話(かんわ)は「私にはそう見える!」ものを儘に書いているだけの話です。

世田谷目黒•旧陸軍獣医学校界隈

2014-06-28 | 街歩き・歴史散歩

先日、旧陸軍獣医学校跡地(古地図左上)をぐるりと回ってみましたが、範囲を広げて、今回は池尻や大橋周辺の旧陸軍用地を大正時代の古地図を参考にして、歩いてみたいと思います。
ま、いつものご近所散歩のようなものですが、、💧



敷地境界に沿って歩きはじめた、地図上の1地点あたりで、石垣に埋まった石らしきものを見つました👀
文字は削れて見えないが、これもきっと陸軍敷地境界の標石じゃないのかな、、。



標石の上には古めかしい鉄階段があるので、恐る恐ると錠を動かして登ってみることにします。



木々に囲まれてひっそりとしたなかに、日清、日露戦争で亡くなった軍人さんらの慰霊の碑が建っていました。

碑を読むと確かにここは陸軍騎兵第一連隊趾。。
今更ながらこんな史跡が身近な場所にあったとはびっくりですねー😯



その先、暗渠となっている目黒川を見下ろす高台へと階段を上がっていきます。
どうやら戦前このあたりは騎兵山と呼ばれていたそうです。



騎兵山を上がるとすぐに馬神の碑が現れました👀(地図上2)



この石碑は、大正の古地図にも載っているようです。
お供え物とともに並んだ蹄鉄が、またもやこの地の遠くて近いような歴史を感じさせてくれます。



高台には一本道が続いています。

古地図で言えば、騎兵第一連隊~近衛輜重兵大隊~近衛輜重兵第一大隊の南側をまっすぐに歩いていることになるようです。

しかし、輜重って難しい漢字ですよね💧
どうやら「しちょう」とは、軍需品と軍需品輸送全てを表す言葉みたいですよ~。



地図上3地点あたり。。
騎兵山の南の谷側には新しいフェンスに隠れて、柵の遺構らしき古いコンクリート基礎が残っていました。



社宅や学校が立ち並ぶ街なかの一本道に、怪しげな建物が見えてきました。(地図4地点)



この塀に囲まれた不気味な廃墟は、近衛輜重兵大隊が使用していた室内射撃場らしいのです。
まだ、こんな都会のまんなかに戦争の遺構が残っているとは、びっくりですよねっ。



どうやら、ここは戦後、日通の倉庫として長く使われていたらしく、その後はどこかのスタジオが利用していたようです。

が、戦後70年を間近にして、裏手の団地ともども、近く取り壊されそうですね。。



そんな射撃場跡の向かいを見下ろすと
(古地図の5番)、ここもかつては陸軍用地だったようですが、新たなビルが建てられるようですね。。



慣らされた土地はかなり広い❗️
一体、なにができるのかな。。



こうして、いろんな発見のあった一本道沿いを突き当たると、現在、警視庁第三機動隊の裏門に出てきました。
ここはむかし、近衛輜重兵第一大隊の出入り口だったようですね。(地図6地点)



お次は、駒場高校のグラウンドを右手に見ながらゆるい坂道を上がっていきます(地図7地点)



本日、お散歩の最後のポイントにあたる、こちらが天覧台ですねー❗️(地図8地点)



近衛輜重兵第一大隊が建つ以前の陸軍騎兵学校だった頃、ここから明治、大正天皇が卒業馬術を天覧した記念に、この石碑は建てられたそうです。

あまりに立派過ぎる石碑も、いまでは立ち止まるヒトも皆無な様子。
改めて、なんだかこのあたりはそんな虚しい威厳の痕跡が寄せ集まった場所のようですね。。


そんなこんなで、今回も買い物ついでのご近所散歩とはいえ、なかなか奥深い時間となりました。

また、古地図を眺めて、身近な場所で気になるものを見つけたら、是非!お伝えしたいと思います。。。🐌


コメント
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