マイmy巷話

マイMy巷話(かんわ)は「私にはそう見える!」ものを儘に書いているだけの話です。

旧甲州街道を歩く(小仏から相模湖周辺)

2014-10-08 | 街歩き・歴史散歩
もう先々月になるのかな……。

かつては甲州街道の裏街道だった関場から関場峠を越えて、相模湖まで続く道があった……というはなしをふと知りまして、関場バス停から、北高尾山稜の鞍部に位置する旧関場峠まで調べに行ってきました。

で、、、
今度は相模湖側から山を越えて関場峠まで続く道があるのかを確かめてみたくなりまして、再び高尾へと出かけてみました🐾




朝10時過ぎの高尾駅にて。。

小仏行きのバス待ち最中、コンクリート塀にいた、お腹の大きなオオカマキリと思わず目が合っちゃいまして、めちゃくちゃ威嚇されました💦




終点の小仏バス停からそのまま直進して、旧甲州街道に入っていきます。
道端に続く石積みは、江戸の五街道の頃からの名残りなのかな?




いまでも狭~い!小仏峠への道はかなりの難所だったらしいですよ~。
こんなとこを馬やら人やら、、、おまけに大名までが通ったとはちょっと信じられませんね。




バス降りて30分。
やたらに広~い小仏峠に着きました👀

で、先が長いのでいつものように峠を足早に過ぎようとした矢先、、、




おや?

足元に「文部省」という文字がうっすらと見えますね。。👀




すぐ先の寛政年間に建てられた高尾山山道の石標の真下にも、、、




もうひとつ標石を見つけました!


しかし、境界には見えない中途半端な位置に何故石を建てたのか?
、、、と、一見思えますが、おそらくはっきりとした高尾の駅からの縦走路が存在しなかった昔の峠は今よりもずっと狭く、甲州街道がこの標石の立つあたりを通っていたからかと思われます。

高尾山は明治になると帝室御料林になったため、宮標石や御料局三角点は時々見かけますが、小仏峠の文部省の石はいったいどこまでの所有にあたるのでしょうか。。🤔




その後は相模湖側に一気に下りていきます。

高速道路が高い❗️
ここが底沢というところのようです。




その集落奥にあるのがこちらの格式ありそうな禅宗のお寺。。。

実は、陣馬山側の関場からここ、相模湖側の底沢へとつながるむかし道は、このお寺に安置されている半僧坊大権現詣でに明治期の頃多くの人らが使ったそうです。
やはり、山の道には必ず意味がある❗️
ここも信仰あっての巡礼の道だったのですねっ。

で、ワタシも一応参拝をしましょうか~と、、




急な階段を上がれば、目の前に本殿らしきものはあれど、手前の枯山水庭園に行く手を阻まれて、参拝どころか敷地にさえ入っていけませんでした😅




入りたいのに入れない、、、もしかしてそれも禅問答なのかなっ😆




結局、難題を解く知恵もないため、引き返して、その先の暗い林道を進みます。




この林道に沿った白沢川を詰めた先から旧白沢峠へと古道は存在していたはずです。
そうすれば、さらに向こうの旧関場峠へ続く道も見つけることができるかもしれません。






が、、その先、林道は関係者以外通行止めに😅

おまけに「林道関係者」がその先で作業をしていらっしゃって、こっちを見ています。

当然関係者でもなんでもないワタシが入れる余地が全くありませ~ん。


やはり、生活に使われなくなった山の道はなかなかいま通ることは難しいようですね。。残念❗️













コメント
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