今回選んだ裏路地散歩は、戦前に陸軍野砲兵部隊が集まっていた三宿から下馬そして三軒茶屋まで🐾
まずはお馴染みのアプリ「東京時層地図」から大正時代の古地図を見てみます👀
現在は世田谷公園になっている陸軍駒沢練兵場から道を挟んだ野砲兵連隊まで、その敷地の広さに改めてびっくりしますね❗️
いまは三宿界隈はおしゃれなカフェやレストランが並ぶ街だけに、なんだか想像もつきません。。
あまりの敷地の広さに何処から最初の一歩を踏み出して良いのか❓❓が、なかなか難しいところものの、古地図を見比べながら歩んでいくと、都営下馬住宅の敷地の中心に残る2つの石柱に気付きました👀
おそらく、ここは近衛野砲兵連隊と野戦重砲兵第八連隊の境界(地図1)かと思われます。
敷地境界は公園になっていますが、ヒマラヤ杉の並木に当時を彷彿とさせますね。。
ここは古地図にも針葉樹の記号がたしかに描かれています。
敷地境界は公園になっていますが、ヒマラヤ杉の並木に当時を彷彿とさせますね。。
ここは古地図にも針葉樹の記号がたしかに描かれています。
広い公園を出たすぐ先に再び小さな公園が現れました。
どうやら、奥には無造作に置かれた5つの石が建っていますが、よく見ると、台座に佇むお地蔵さま以外は軍馬慰霊の石碑のようです。
と、どこからかひとりのおばあさまが、このお地蔵さまに手を合わせに来られたので、少しはなしを伺うと、これらの慰霊碑は以前はバラバラに建っていたものを一箇所に集めたらしく、昔はセイフー(現在foodium三軒茶屋店)あたりに馬小屋があり、そのそばにあったのだとか。。(地図3)
そんな慰霊碑のある公園のすぐ裏手には一軒の古い家が残されています👀
しかし、、よく残っていましたよね💧
この木造建造物は、戦前の野砲兵第一連隊の兵舎(地図2)だそうです。
そんな慰霊碑のある公園のすぐ裏手には一軒の古い家が残されています👀
しかし、、よく残っていましたよね💧
この木造建造物は、戦前の野砲兵第一連隊の兵舎(地図2)だそうです。
まわりからは昭和の景色は全て失われたはずが、ここだけが100年近くを経ても、なお残る不思議さは、なんとも言い難い気分にさせられますね。。
時代から取り残された……とは言うものの、新しい景色ばかりに圧倒される東京では、そんなものさえあまり見かけなくなり、この言葉を使うことさえ限られている昨今。
もしかすれと、この広い敷地でなら、すこし目を凝らせば、歴史のカケラがまだまだみつかりそうな気がしてきました。
是非、次回も歩いてみたいと思っています。
最後は三軒茶屋側の民有地と軍用地の境界に沿った道を夕暮れのなか、足早に帰途につきました。(地図上4)
どうやら、ここはかつては芝溝街道と呼ばれる東京の芝から相模原を繋ぐ道だったとか。。
ここも改めて少し調べてみたい場所ですね❗️