昨年、ご近所散歩でぶらり回った三宿城跡。。
そこは中世期に一帯を領有した吉良氏の居城(世田谷城)の出城跡と云われています。
🐾
とはいえ、真っ直ぐに土塁から城跡の台地へと続く破線(小径を示す)が、この路地のようです。
わずかに歪む形状もたしかにむかし道ですね!(3番ピン~4番ピン)
路地はここで左へと曲がりますが、古地図を見ると当時は一面雑木林のなかを真っ直ぐに続いていたようです。(4番ピン)
そして、ここが三宿城の台地の先端。
たしかに土地の形状に沿って段々に家が上がっています。
台地の先端に位置するお宅への階段は、なかなかスリルがありそうですが、私有地には立ち入れませんよね💧
遠回りをして、台地の上まで来てみると、、👀
緑道の交差点には、「多聞寺橋」と刻まれた、橋の親柱が残ってます。
そこは中世期に一帯を領有した吉良氏の居城(世田谷城)の出城跡と云われています。
前回、明治の古地図に描かれていた土塁記号の場所を訪れてみると、そこには確かに盛り土された道路が一部残っていることを見つけたのでした。
ま、それがホンモノか❓はわかりませんが、、💧
➡︎三宿城跡を歩く
改めて、三宿城周辺の2箇所の土塁記号のうえにオレンジの線を入れてみました。
クランク状の土塁跡(地図8番ピン)が前回訪れた盛土の路地。
クランク状の土塁跡(地図8番ピン)が前回訪れた盛土の路地。
で、今回はもうひとつの土塁記号の場所(地図2番~3番ピン)を覗いてみることにします。
ただし、そこは台地を降りた田んぼのなかなので、ただの畦道、もしくは2箇所の川に挟まれた水害対策用の土嚢かもしれませんが、R246(矢倉沢往還)と平行に造られているのがなんだかあやしいんですよね。。🤔
🐾
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前置き長くなりましたが、まずは台地の北を流れる北澤用水(現在は暗渠)に沿った緑道歩きから。(1番ピン)
前置き長くなりましたが、まずは台地の北を流れる北澤用水(現在は暗渠)に沿った緑道歩きから。(1番ピン)
ここは、お馴染みの野鳥たちに交じって、コサギも訪れる、なかなか楽しい場所なのです。
古地図をみると、、👀
古地図をみると、、👀
気になる土塁の記号は、その先の桜の木の右側あたりを南へと続いているようです。(2番ピン)
が、残念ながら、その先は人様のおウチ…💧
が、残念ながら、その先は人様のおウチ…💧
このあたりは、河川の改修でむかしの風景がすっかり損なわれている場所だったことを忘れてました。
反対側から回ってみても、平坦地で、ただビルがあるのみ。。。(3番ピン)
やはり、残っているはずもありませんよね😓
反対側から回ってみても、平坦地で、ただビルがあるのみ。。。(3番ピン)
やはり、残っているはずもありませんよね😓
とはいえ、真っ直ぐに土塁から城跡の台地へと続く破線(小径を示す)が、この路地のようです。
わずかに歪む形状もたしかにむかし道ですね!(3番ピン~4番ピン)
路地はここで左へと曲がりますが、古地図を見ると当時は一面雑木林のなかを真っ直ぐに続いていたようです。(4番ピン)
そして、ここが三宿城の台地の先端。
たしかに土地の形状に沿って段々に家が上がっています。
台地の先端に位置するお宅への階段は、なかなかスリルがありそうですが、私有地には立ち入れませんよね💧
遠回りをして、台地の上まで来てみると、、👀
そこには住み手を失い、目の錯覚かと疑いたくなるように歪んだ家が佇んでいました。
なんだかここが三宿城のあった台地の終点かと思うと、ちょっと感慨深いですね。。
帰りは、台地の南側を流れる烏山用水(現在、緑道)から戻ることにします。
古地図でここには、田んぼとともに水車記号があるので、水が豊かな場所だったようですね。(地図5番ピン)
郷土史の冊子を見ると、やはりこのあたりの川は池のように水を湛えていたようです。。。👀(6番ピン)
緑道から見上げた台地を眺めてみる👀
帰りは、台地の南側を流れる烏山用水(現在、緑道)から戻ることにします。
古地図でここには、田んぼとともに水車記号があるので、水が豊かな場所だったようですね。(地図5番ピン)
郷土史の冊子を見ると、やはりこのあたりの川は池のように水を湛えていたようです。。。👀(6番ピン)
緑道から見上げた台地を眺めてみる👀
ふらふら歩いてみたものの、土地の形状以外に三宿城の痕跡らしきものなど、やはりどこにも残されてはいませんね。。
緑道の交差点には、「多聞寺橋」と刻まれた、橋の親柱が残ってます。
そんなお城跡に現在建つ小学校も多聞小学校でしたよね。
三宿城の別名は、多聞寺城。。
三宿城の別名は、多聞寺城。。
お城の痕跡は皆無でも、いまこうして名前が残されているだけでも、大事なことかもしれません。
とはいえ、多聞小学校に沿った道には近年まで堀らしき跡が残っていたらしいので、もしかすると何か些細なものが何処かに今でも隠れているかも❓
とはいえ、多聞小学校に沿った道には近年まで堀らしき跡が残っていたらしいので、もしかすると何か些細なものが何処かに今でも隠れているかも❓
また、時間あれば探してみようかな。。