マイmy巷話

マイMy巷話(かんわ)は「私にはそう見える!」ものを儘に書いているだけの話です。

目黒富士に行く

2016-09-18 | 街歩き・歴史散歩



病院からの帰り道🐾
道端でふと目にした文字に注目なのです👀

うむ🤔
先日の富士登山もあってか、なんだか登らなきゃならないような気分になりまして、、





早速、鳥居をくぐってみると、そこはいきなり三合目かっ💦

しかし考えてみると、、🤔
ホンモノの富士山の場合は五合目からの出発なので、三合目って行ったことがないことにいまさら気付きました😆




お次の五合目からは、5歩🐾も歩けば六合目に到着か💧
てっぺんもすぐそこなんですねー。
この富士山短かすぎっ😂


で、ホンモノの富士山もどのコースからでも歩き始めから、てっぺんがよく見えます👀

特に五合目~六合目はハイキング感覚でサクサク歩けてしまう❣️

「これなら、頂上まで楽勝じゃ~ん」
と、ついつい勘違いしてしまうのがこの区間なんですねっ😆



そして、それが浅はかだった…😭
と、思い知らされるのが、この七合目の先の八合目あたり。。


今日泊まるはずの山小屋も目の前にに見えているっ😭💦💦

でも、どうしても足が前に進まないっ💦
ちっとも上に登れない💦
なんかアタマ痛いっ💦
眠いっ💦💦

…と、まさに逢魔が時‼️

吉田口コースは溶岩地獄💀
須走コースや御殿場コースなら砂地獄💀

それが、「The 富士山八合目」なんですよー‼️








そんな厳しい所業を乗り越えた、選ばれしもののみが辿り着くのを許されるのがこの神聖な地✨✨なのです。

そう。。
それが富士登山なのであるっ😤‼️
(ただ地元のお宮でも、なんだか先日富士山に登った記憶が思い出されてしまいましたっ💦)






本殿の横に建つ浅間神社を眺めてみる👀





横には幕末の手水鉢が置かれています。

敷地内の説明板によると、、
目黒区大橋にある氷川神社の目黒富士は幕末の富士信仰(富士講)の史跡…と書かれていますが、どうやらこの富士山はもともと別の場所にあったものが、明治に入ってからこちらに移されてきたらしいのです。

で、本来の場所というのがなかなか面白かったりするのでご紹介を。。






こちらは明治36-42年頃の代官山周辺の古地図。

中央あたりに注目すると岩倉邸と書かれた敷地内に円すい形の等高線が見えていますが、おそらくそれが目黒富士なのでしょう。

岩倉とは、岩倉具定。
幕末の戊辰戦争で官軍がピーヒャララララ〜とやってきた軍隊の総督だったひとの庭が、江戸時代は富士講の場だったというわけか🤔







ちなみに、この人のお父さんが岩倉具視なのです。
昔懐かしい500円札のひとですね!

さすが、聖徳太子をまんま持っているのは難しいが、これは未だ大事に引き出しにいれたまんまにしていますよー😆


コメント
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