戦前、三宿、池尻、そして目黒区大橋あたりが軍都と呼ばれていた頃から町の片隅に残された遺物を今回もご紹介したいと思います。
地元の図書館で借りた昭和22年の池尻周辺の古地図を眺めていると、旧騎兵第一大隊の西側斜面に張り付くような三列並んだ建物群に、すり減ったインクで偕行社住宅と書かれているのを偶然見つけました👀
同じく将校クラスが住んだ駒場の偕行社住宅には、2.26事件に因んだ松見坂の日蓮像のエピソードとあわせた歴史散策で、以前に出かけたことがありました。
改めて、戦後2年が過ぎて発行されたこの地図からは、周囲の軍施設の記載一切が消えてしまっても、池尻の偕行社住宅の名称が残っているのは、未だ軍人関係者が住んでいたからでしょうか。。。
そんなわけで、池尻偕行社住宅のあった場所に着きました🐾
騎兵第一大隊のあった方向に道はやや急勾配に上がっています。
細い路地は当時のままのようですね。
池尻偕行社住宅は、駒場と比べると、ずいぶん小規模だったようでして、すぐに行き止まりになりました。
見上げたマンションのあたりが騎兵第一大隊のあった高台(騎兵山)になりますが、この擁壁に沿って、陸軍用地の境界は設けられていたようです。
そんな視界の左端の消火器横に気になるモノを発見しましたっ👀
傾いて立ってますが、これはたしかに石ですよね。。
しかも、陸軍の境界標石ですね‼️
確かにアタマに点もついてますっ。
こんな路地奥の、しかも電柱陰で隠れん坊してるかのように、立ってる姿になんだか笑っちゃいましたっ。
地図で見ると標石はちょうどこの位置になるようです。
改めて、騎兵第一大隊と偕行社住宅の境界に建っていることがわかりますね❗️
そんな標石の横から奥へと階段が伸びています。
なんだか立ち寄る人も疎らな雰囲気が、見るから伝わってきますが、かつての軍用地の境界でもあるわけだし、立ち入り禁止でもなさそうなので、上がってみることにしました。
突き当たりからトリとシカがこっちを見てますが、残念ですがワタシはキミらとは遊びませんからねっー💧
長い時を経て、現在ここは小さな児童公園になっているようです。
、、と、なんだか新旧含めた孤独なものらの寄せ集めを、この池尻偕行社住宅跡地で見ることができまして、今回も近場でなかなか充実した小発見❗️がありましたね。