生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

生命学備忘録2012年8月22日

2012年08月22日 21時48分21秒 | 生物哲学
2012年8月22日-7
生命学備忘録2012年8月22日

 黒谷明美 2004.6『絵でわかる生命のしくみ』は、生命の三つの特徴として、

  1. まわりとやりとりのできる境界をもつ
  2. (まわりから)取り込んだもので必要なものをつくり、いらないものは外にだす(そうして、自分を成長させ、維持していける)〔括弧内の語は図1.1による〕
  3. 自分と同じようなものをつくり出す

を、挙げている(2-3頁)。ウイルスは、生命の特徴の3だけを満たすと述べている(4頁)。

 細胞。
 ウイルスちゃんも生きものの仲間にしたい。
 外界に対して、個体的な作用または活動をする。

 個体の内と外を画定する境界がある。
  しかし、それは認識上の話であるだけかもしれない。たとえば、人がその境界が認識できなくても、その個体(とは言えないかもしれないが)にとっては、自分と環境は区別しているかもしれない。

 膜といった境界があって、代謝が可能である。代謝活動がなくても、生きている場合があるのではないか? たとえば100年間眠っていた種子は、死んでいたのではなかろう。代謝活動をしなかっただけである。(もっとも、ほんちょっとはどこかでしていたかも?)。凍結保存した精子は、死んでいるのか? それが復活するのか? ミトコンドリアはエネルギー産生(消費)しているのか?

 或る生物体が実際に生殖するかどうかは、生きていることとは何の関係も無い。生殖可能性もまた、関係が無い[種システムとしては別の話。種システムは、生殖メカニズムを備えている。ウイルスでさえも。自分の身体を構築するのに、寄生先という環境から構成物質を調達する。その際、宿主の細胞システム(したがってたとえば複製メカニズム)を利用する。]。

 生きているかどうかを構成物の空間構造的に判定する。つまり、構成物の機能できるかどうかを、構成物が機能されていないかどうかで判定する。
 ウイルスでは、DNA配列の一部が切断されたとき、修復はされるのだろうか?

 方針。生命活動(したがってその形態)には、様々な種類と程度がある。
 段階分けをする。

 
[K]
*黒谷明美.2004.6.絵でわかる生命のしくみ.163pp.講談社.[2000円+][OCL460]


無機学と有機学の方法

2012年08月22日 21時20分32秒 | 生物哲学
2012年8月22日-6
無機学と有機学の方法

  「近代の自然科学の方法によっては本質的には死んだものしか理解できない、生きた有機界をその生成のプロセスにおいても理解しうる方法を求め、それによって自然と精神の間に新の橋を架けた人こそ、自然科学者としてのゲーテだという確信が彼のうちに生まれる。〔略〕1886年、25歳のシュタイナーによって『ゲーテ世界観の認識論要綱』が出版される。この著書は無機界の自然認識と有機界の自然認識の間には決定的な相違があることを、つまり無機学の方法はあらゆる総体をシステムとして把握しようとするのに対し、有機学の方法は個々の生物の発展を原型からの生きた発展としてとらえようとすることを明らかにした。」(上松佑二 1985.8.『ルドルフ・シュタイナー』12頁右欄)。

  無機学の方法 総体をシステムとして把握する。
  有機学の方法 個々の生物の発展を原型からの生きた発展としてとらえようとする

  静的なシステム ←→ 生成のプロセス
ということなのか?
 個々の生物体システムを、展開するシステムとして捉えればよいのでは?


[A]
上松佑二.1985.8.ルドルフ・シュタイナー[新装版].179pp.PARCO出版局.[3,200円][OCL702.34][あげまつ]



リスク論って、何なのか?

2012年08月22日 19時54分44秒 | 生命生物生活哲学
2012年8月22日-5
リスク論って、何なのか?

 『リスク学入門』という全五巻が、2007年7月から11月まで毎月刊行で岩波書店から出ている。
 第一巻『リスク学とは何か』の「共同討論 リスク論からリスク学」は、なんらかの結論的なことはまとまらず、とりわけ体系的理論構築をめざして「学」と銘打ったにしては、リスクの定義にしろ、方法論にしろ、こうですというものは無く、あまりにも粗雑なままで終わっている。
 次の「第一章:経済学におけるリスクとは」は、ベルヌーイのコイン投げゲームが69頁以降に紹介されている。宝籤でもロトでも、個人が賭け事をするときに一番考えるのは、自分に高配当があたるかどうかである。一般論とこの個人的行為との関係を解明したのは無いのだろうか? 知りたいところが、知らん顔されている。

 →あなたは、十発の弾倉のある拳銃に弾を一発こめて、弾倉を沢山沢山回転させる。あなたは、その拳銃の引き金を一回引きますか? ロシアン・ルーレット銃です。発射されれば、あなたは死ぬでしょう。引かない? では、百発に一発なら? 一万発に一発なら? 十万発に一発なら? なんで、そんな賭けをさせられなあかんのか、と思いません? 

 →放射能当たり籤と線量測定と生体内放射能影響メカニズム。



 
  「原発事故をきっかけに、「リスク学」関係の書籍に目を通している。付け刃の勉強だが、一つだけ確実にわかったことがある。「リスク学」は原発推進の「露払い」の役目を果たすことはあっても、「原発のリスク」そのものを、まともに取りあげ「マネージ」し、ストップをかけることは決してなかった。「リスク学」のような雑多な寄せ集めの新興ガクモンに「御用学問」というレッテルを貼るのは酷かもしれないが、「迂闊な学問」であったことだけは確かだ。」
http://blogs.yahoo.co.jp/tessai2005/64340410.html

 上記引用以下、リスク論に対する、簡明にして的を得た批判が展開されている。

 このブログ処には、脱成長についての記事もある。
http://blogs.yahoo.co.jp/tessai2005/65458305.html

 また、
  「特に京都大学の山名教授は、重大な事故が起きたからといって、事故のコストまで原発のコスト評価に含めるのは「感情的な反応」だとして、大島氏の主張を批判している。また、他の委員からも、「高速増殖炉サイクルのコストを原発コストに含めるのはおかしい」(松村敏弘東京大学社会科学科教授)とか、「世界への影響を考えると、原発コストを高く見積もり過ぎることは問題」(柏木孝夫東京工業大学ソリューション研究機構教授)といった、あり得ないような議論が交わされていた。

しかし、大島氏が指摘するように、事故のコストは既に発生している現実のコストで、これを国民は負担しなければならない。また、その他の原発関連コストの多くが、これまで発電コストとは別に、補助金という形で国民に押しつけられてきたことも事実。こうしたコストを計算に入れずに、公正なコスト検証が本当に可能なのだろうか。
 〔略〕
――「二項対立を乗り超えた国民的議論を展開する」「エネルギーのベストミックス」「定量化」というキーワードが、まやかしのマジックワード、国民を黙らせるための呪文になりつつあるようです。」
http://blogs.yahoo.co.jp/tessai2005/64835555.html#64843388



風間虹樹:生命龍、精気の襞を泳ぐ。

2012年08月22日 12時30分58秒 | 美術/絵画
2012年8月22日-3
         エナジー
風間虹樹:生命龍、精気の襞を泳ぐ。



           エナジー
 [風間虹樹〈生命龍、精気の襞を泳ぐ。〉。2008年10月26日。F20縦。麻画布に、ジェッソ、ルソルヴァン、水干絵具。]
 [技法。ルソルヴァンに溶いた水干絵具液体の滴下。その上に、ジェッソの叩きつけ(後日にひび割れる)。]
 
 












風間虹樹:生命火花?? a rose violet devas

2012年08月22日 11時58分35秒 | 美術/絵画
2012年8月22日-2
風間虹樹:生命火花?? a rose violet devas




 


 [風間虹樹〈生命火花?? a rose violet devas〉。2007年10月23日。F20縦。麻画布に、ジェッソ、胡粉、墨、水干絵具、油絵具。]
 [技法:ジェッソ生乾きのうちに、面相筆による墨の叩きつけ振り出し法。]
 [解題。一多性。一にして多(複数)なるもの。多にして一つである存在者。世界の精気は上昇し、火花は上昇する精気との作用で、一瞬にして永遠に、はじける。]