今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

乙女峠マリア聖堂(島根県鹿足郡津和野町後田)

2015年01月10日 | 教会
乙女峠マリア聖堂
昭和26年(1948)津和野カトリック教会神父、岡崎祐次郎が殉教者の霊を慰めるために乙女山の中腹、光淋寺跡に建立された聖堂



津和野で最後に選んだ場所は森鴎外の菩提寺である永明寺(ようめいじ)から、近い場所にある「マリア堂」
途中、道がわからなくなり地元人に尋ねると「乙女峠ね」と言って親切に道順を教えてくれた



「乙女峠」という響きはよいが細く長く続く道は、膝や心臓に負担がかかる



右側に教会らしき建物が見える



予備知識も全くなく訪れた教会であるが、この後、歴史的背景を知ることになる



明治政府がキリスト教を改宗させるために、長崎県浦上の切支丹信徒総員163名を津和野にあずけた



この人達は乙女山の光淋寺境内の納谷に預けられ、日夜残酷苛烈な拷問にかけられて改宗を迫られたという



聖堂内の様子









聖堂内のステンドグラスに当時の様子が書かれていると言われたのでもう一度入り直す

左:「明治元年、長崎浦上キりシタン流罪」 右:「津和野乙女峠で入牢」



左:「守山甚三郎、高木仙右衛門ほか同志氷責め」 右:「安太郎三尺牢で聖母マリアのまぼろしをみる」



左:「祐次郎、雀の親子をみて神の愛をさとる」  右:「5才のもりちゃん、お菓子の誘惑に、天国の味はもっとおいしいと答える」



左:「転び者のつぐない」 右:「殉教者の血はキリスト教の種である」



殉教者安太郎が伝えた言葉



「私は此三尺牢屋の内にて淋しゅうはございません……サンタマリア様の御影の顔立ちににておりますご婦人がお現れくださる…



けれども、このことは私の生きておるまでは人に話してはくださるな」



明治2年1月7日より19日までの間、聖母マリアが殉教者安太郎に毎晩出現した



古井戸と水洗い場
この古井戸と水洗い場は自分たちで食事を作る大事な場
減食の拷問が始まると飢えに苦しむ日々が続いた



左手の池では氷点下が続く真冬、裸にされたキリシタンが何度も入れられ、生死をさまようような拷問が行われていた



明治23年(1890)にビリオン神父が「信仰の光」と刻んだ石碑を建て、殉教した人達の霊を慰めた



乙女峠の聖母とその殉教者



拷問により改宗を迫られ、殉教した者 36名



殉教者記念碑案内



受難と復活






赤い色が染みこんだ十字架



十字架上で苦しみを受けながら流れた血を表している



記念聖堂(マリア堂)周辺の地に芝を植え桜やつつじを植えて美しい聖地「乙女峠」をつくった



毎年5月3日に行われる乙女峠祭りには、大勢の信徒が集まり、聖堂前の広場で荘厳な屋外ミサが行われる



予備知識も信仰心もなく、観光気分で訪れた私にとっては辛い時間となった



撮影 平成26年10月24日
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