今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

津和野城跡(島根県鹿足郡津和野町後田)

2015年01月05日 | 
津和野城跡(史跡)
津和野城は津和野盆地の南西部に横たわる標高367メートルの山上にある山城である

津和野城には自然道を徒歩で行く方法もあるが、私は違う道を選んだ



「観光リフト」を利用するという楽な方法だ
多少の恐怖感はあるが、待ち時間もなく目的地の近くまで運んでくれる



堀切
尾根の方向に尾根続きを直交に遮断して敵の侵入や攻撃を防止することを目的として掘削した



中世の山城でよく用いられる手法で、吉見氏時代のもの



緑の木々に囲まれた遊歩道はとても気持ちがいい



先に進んでいくと「出丸か本丸か」の選択になる



ほんの少し上りがあるが、2~3分の我慢だ



出丸跡(別名:織部丸)
慶長5年(1600)吉見氏に代わり津和野へ入城した坂崎直盛が改築の時に築いた
弟で家老浮田織部指揮をとったことから「織部丸」ともいわれている



出丸が本城を守るための戦略上、防塁としての役割は必要不可欠であり、鉄砲に頼る実践的な戦術が進み、この場所を強化する必要があった






東西約18m、南北約45m 石垣に沿って堀が巡らされていた。本丸東門までの距離244m



出丸から本丸を目指す



「史跡 津和野城址」と刻まれた石柱
城址とは石垣だけが残っているということ



案内板には「中世山城 津和野三本松城跡」と書かれている



文永11年(1274)、弘安4年(1281)の蒙古来襲を受け、鎌倉幕府は吉見頼行に海岸防備を命じた
頼行は家来とともに能登から地頭として入り築城を始めた



その後、この山城は天文23年(1554)の「三本松の役」では、大内氏・陶氏・益田氏その他の大軍に包囲されながらも100日の籠城戦に耐えた

東門跡
石垣が三段になっているが、三段櫓跡となる



かつては三層の天守閣があった



馬立跡・台所跡
馬立は乗馬をつなぎとめておくところ



台所跡には石列による排水機能が見て取れる



西櫓門跡






天守台



三十間台



山の上から自分の目で見て確認したかったことがある。それは、屋根の色である



リフトの係の人に聞くと「石州瓦」独特の赤い色で、津和野が産地になっているそうだ

 

太鼓丸









津和野という地名の由来となっている「黄色のツワブキの花」



下りのリフトは初体験になるが、高所恐怖症の私には厳しい試練となった



撮影 平成26年10月24日
コメント
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