戒光山 西教寺
天台真盛宗の総本山。聖徳太子の恩師である高麗の僧慧慈、慧聡のために創建されたと伝えられている
山門
山門を入った所にTV局などで使用するようなカメラを持っている人などが集まっていた
十数分待ったが動く気配もなくこの角度になった
沢庵禅師の碑
慶長19年(1614年)沢庵42歳の時、京都を出発し石山寺、三井寺を参詣、琵琶湖を船で坂本へ渡り西教寺を訪れている
全日本仏教徒滋賀大会テーマ「出会い 縁を生き 伝えるわれら」
文学ゆかりの地 小説「細川ガラシャ夫人」
山門前にある各種の説明文を読み、碑を眺め、その内容を頭に入れ、山門から中に入る
この緑の木々に囲まれた参道を歩く
参道の両側に塔頭がある
禅明坊
蓮心坊
徳乗坊(国有形文化財)
聞證坊
実成坊(国有形文化財)
勅使門
参道奥の正面にある
波心庭
寺標石柱
明治11年(1878年)に「天台宗真盛派」の本山となった時に建立された
天台宗三派:延暦寺(山門)、三井寺(寺門)、西教寺(盛門)
この寺への参詣は今回が初めてで境内の配置を含め全く理解していない
この階段の上に何があるかわからないというのも楽しいものだ
宗祖大師殿
「唐門」
唐門の扉の彫刻
「宗祖大師殿」 真盛上人の木像を祀っている
「宝珠丸(真盛上人幼形像)」
「勅使門」の場所に戻る。真横から見るとこのようになっている
斜め後ろから。皇室への尊崇の念を感じ取ることができる
「石造十三重塔」
手水舎
本堂前に(この時点では)よくわからない人達が佇んでいる
写真を撮ることができないので、周辺を散策してみる
この辺りに来て初めて西教寺に「明智一族の墓」があることを理解した
芭蕉没後三百年記念碑
芭蕉が初めて女性に対する句を詠んだのが光秀の妻「煕子」である
「月さびよ 明智が妻の 咄せむ」 芭蕉
H30年秋の旅で、称念寺(福井県坂井市丸岡町長崎)を訪れたとき光秀の妻「煕子」のことを知り感動したことを思い出した
聖衆来迎阿弥陀如来二十五菩薩像
明智光秀一族の墓
「辞世句」
修行の道には順縁と逆縁の二つがある。しかしこれは二つに非ず。実は一つの門である
即ち、順境も逆境も実は一つで、究極のところ、人間の心の源に達する大道である
而してわが五十五年の人生の夢も醒めてみれば、全て一元に帰するものだ
「名号石」
客殿(重要文化財)
桁行十二間、梁間八間、杮葺入母屋造、北面切妻の建築
桃山時代慶長3年(1598年)伏見城の旧殿を大谷行部らが移したものいわれている
真盛上人廟
客殿横にある急な階段の上にある
天保13年(1843年)の建立。桁行・梁間二間で一間の向拝を付けた本瓦葺の宝形造
堂内には真盛上人の五輪塔が安置されている
染殿(五輪塔)
鎌倉時代のもの。西教寺で最も古い石造品
本堂(重要文化財)
江戸時代元文4年(1739年)落成、桁行七間、梁間六間、総欅入母屋造
本堂の写真を撮りたかったのだが人が多すぎてこの1枚のみ
政治家か皇室のどなたかが来られているのかと思い、係の人に尋ねてみると俳優の「長谷川博己」だと
名前はわからなかったが顔は覚えていた
次の、NHK大河ドラマ「麒麟がくる」で明智光秀役で主演することを、光秀の墓前で報告と参拝のため訪れたらしい
鐘楼(大津市指定文化財)
芸能人には肖像権があるとかで、カメラを構えただけでスタッフから高圧的に注意を受ける
腹がたったので、ポックリ出た腹にカメラを固定し撮ってみた(笑)
好みの女優なら注意をされても撮るが、男には興味がない
雲霧仁左衛門の「内山理名」、なつぞらの「比嘉愛未・貫地谷しほり」は撮ってみたい女優だ(脱線した)
撮影 令和元年5月20日
天台真盛宗の総本山。聖徳太子の恩師である高麗の僧慧慈、慧聡のために創建されたと伝えられている
山門
山門を入った所にTV局などで使用するようなカメラを持っている人などが集まっていた
十数分待ったが動く気配もなくこの角度になった
沢庵禅師の碑
慶長19年(1614年)沢庵42歳の時、京都を出発し石山寺、三井寺を参詣、琵琶湖を船で坂本へ渡り西教寺を訪れている
全日本仏教徒滋賀大会テーマ「出会い 縁を生き 伝えるわれら」
文学ゆかりの地 小説「細川ガラシャ夫人」
山門前にある各種の説明文を読み、碑を眺め、その内容を頭に入れ、山門から中に入る
この緑の木々に囲まれた参道を歩く
参道の両側に塔頭がある
禅明坊
蓮心坊
徳乗坊(国有形文化財)
聞證坊
実成坊(国有形文化財)
勅使門
参道奥の正面にある
波心庭
寺標石柱
明治11年(1878年)に「天台宗真盛派」の本山となった時に建立された
天台宗三派:延暦寺(山門)、三井寺(寺門)、西教寺(盛門)
この寺への参詣は今回が初めてで境内の配置を含め全く理解していない
この階段の上に何があるかわからないというのも楽しいものだ
宗祖大師殿
「唐門」
唐門の扉の彫刻
「宗祖大師殿」 真盛上人の木像を祀っている
「宝珠丸(真盛上人幼形像)」
「勅使門」の場所に戻る。真横から見るとこのようになっている
斜め後ろから。皇室への尊崇の念を感じ取ることができる
「石造十三重塔」
手水舎
本堂前に(この時点では)よくわからない人達が佇んでいる
写真を撮ることができないので、周辺を散策してみる
この辺りに来て初めて西教寺に「明智一族の墓」があることを理解した
芭蕉没後三百年記念碑
芭蕉が初めて女性に対する句を詠んだのが光秀の妻「煕子」である
「月さびよ 明智が妻の 咄せむ」 芭蕉
H30年秋の旅で、称念寺(福井県坂井市丸岡町長崎)を訪れたとき光秀の妻「煕子」のことを知り感動したことを思い出した
聖衆来迎阿弥陀如来二十五菩薩像
明智光秀一族の墓
「辞世句」
修行の道には順縁と逆縁の二つがある。しかしこれは二つに非ず。実は一つの門である
即ち、順境も逆境も実は一つで、究極のところ、人間の心の源に達する大道である
而してわが五十五年の人生の夢も醒めてみれば、全て一元に帰するものだ
「名号石」
客殿(重要文化財)
桁行十二間、梁間八間、杮葺入母屋造、北面切妻の建築
桃山時代慶長3年(1598年)伏見城の旧殿を大谷行部らが移したものいわれている
真盛上人廟
客殿横にある急な階段の上にある
天保13年(1843年)の建立。桁行・梁間二間で一間の向拝を付けた本瓦葺の宝形造
堂内には真盛上人の五輪塔が安置されている
染殿(五輪塔)
鎌倉時代のもの。西教寺で最も古い石造品
本堂(重要文化財)
江戸時代元文4年(1739年)落成、桁行七間、梁間六間、総欅入母屋造
本堂の写真を撮りたかったのだが人が多すぎてこの1枚のみ
政治家か皇室のどなたかが来られているのかと思い、係の人に尋ねてみると俳優の「長谷川博己」だと
名前はわからなかったが顔は覚えていた
次の、NHK大河ドラマ「麒麟がくる」で明智光秀役で主演することを、光秀の墓前で報告と参拝のため訪れたらしい
鐘楼(大津市指定文化財)
芸能人には肖像権があるとかで、カメラを構えただけでスタッフから高圧的に注意を受ける
腹がたったので、ポックリ出た腹にカメラを固定し撮ってみた(笑)
好みの女優なら注意をされても撮るが、男には興味がない
雲霧仁左衛門の「内山理名」、なつぞらの「比嘉愛未・貫地谷しほり」は撮ってみたい女優だ(脱線した)
撮影 令和元年5月20日