棡山(ゆずりさん) 明通寺
この日の予定には入れていなかったが、急に国宝の塔や本堂内にある仏像が観たくなり立ち寄ることにした
同じ時間に観光バスから団体参詣者が降りたので駐車場で休憩し時間をずらして移動した
この石碑でもわかるように、国宝の本堂と三重塔がある名刹
大同元年(806年)、北陸地方を巡行中の坂上田村麻呂が創建したとされる
山門(小浜市指定文化財)
江戸時代の明和9年(1772年)再建、瓦葺、三間、二重門
金剛力士像(小浜市指定文化財)
鎌倉時代文永元年(1264年)造立
鐘楼
棡木(ゆずりぎ)
創建当時この棡木の大木によって本尊薬師如来、降三世明王、深沙大将の三体を彫って安置した(焼失)
山号の棡山のいわれでもある
手水舎
本堂を目指し歩いていたときに団体客が参拝を終え降りてきた
三重塔(国宝)
この塔を拝観するのは4度目になる
いつも天気が良く、午後には塔の真上に太陽があがり写真を撮るには条件が悪い
足元にカメラを向けてみた
再建されて750年間、この塔を支えてきた
本堂(国宝)
正嘉2年(1258年)上棟、文永2年(1265年)落成
石垣の基壇上に建つ入母屋造、檜皮葺きの建物
平面は桁行5間(14.72m)、梁間(奥行)6間(14.87m)である
扉の開いているところから入ると担当者から寺のや仏像の歴史についての説明を受けることができる
堂内にある、「木造深沙大将立像」は日本に4体ある(しかない)重要文化財の一つ
『西遊記』に登場する流砂河の主・沙和尚(沙悟浄)のモデルとなった
木造不動明王立像(重要文化財)
平安末期の作。像高161.8cm。檜の一木造
明治5年に持仏堂が火災に遭い、本尊の不動明王も焼失したため、羽賀寺の不動明王を譲り受けて祀ったもの
樹齢500年の「かやの大木(小浜市指定記念物)」
撮影 令和元年5月21日
この日の予定には入れていなかったが、急に国宝の塔や本堂内にある仏像が観たくなり立ち寄ることにした
同じ時間に観光バスから団体参詣者が降りたので駐車場で休憩し時間をずらして移動した
この石碑でもわかるように、国宝の本堂と三重塔がある名刹
大同元年(806年)、北陸地方を巡行中の坂上田村麻呂が創建したとされる
山門(小浜市指定文化財)
江戸時代の明和9年(1772年)再建、瓦葺、三間、二重門
金剛力士像(小浜市指定文化財)
鎌倉時代文永元年(1264年)造立
鐘楼
棡木(ゆずりぎ)
創建当時この棡木の大木によって本尊薬師如来、降三世明王、深沙大将の三体を彫って安置した(焼失)
山号の棡山のいわれでもある
手水舎
本堂を目指し歩いていたときに団体客が参拝を終え降りてきた
三重塔(国宝)
この塔を拝観するのは4度目になる
いつも天気が良く、午後には塔の真上に太陽があがり写真を撮るには条件が悪い
足元にカメラを向けてみた
再建されて750年間、この塔を支えてきた
本堂(国宝)
正嘉2年(1258年)上棟、文永2年(1265年)落成
石垣の基壇上に建つ入母屋造、檜皮葺きの建物
平面は桁行5間(14.72m)、梁間(奥行)6間(14.87m)である
扉の開いているところから入ると担当者から寺のや仏像の歴史についての説明を受けることができる
堂内にある、「木造深沙大将立像」は日本に4体ある(しかない)重要文化財の一つ
『西遊記』に登場する流砂河の主・沙和尚(沙悟浄)のモデルとなった
木造不動明王立像(重要文化財)
平安末期の作。像高161.8cm。檜の一木造
明治5年に持仏堂が火災に遭い、本尊の不動明王も焼失したため、羽賀寺の不動明王を譲り受けて祀ったもの
樹齢500年の「かやの大木(小浜市指定記念物)」
撮影 令和元年5月21日