余部橋梁
十数年前に初めて鉄橋を見たときから、今回で6・7回訪れている
今は、道の駅も併設され休憩するには便利な場所になっている
不思議とこの場所に来るときは、いつも雨が降っている
と言うより、雨が降っても大丈夫な「砂の美術館」へ向かう途中にあるのだ
この日は雲一つない快晴ということもあり、カメラを持って車を降りた(2015年以来となる)
EVなども設置され約1分で「空の駅」へ。坂道を上り列車を待ちカメラを構えた頃が懐かしい
ホームにある小さな待合所には発着時刻表
訪れた人が記入した思い出のノートが何冊も置かれていた
私は文章が苦手なので、写真で記録した
餘部鉄橋「空の駅」
ここの線路は車両が通らないため自由に歩くことができる
私の父は国鉄職員だったので、子供の頃は線路でよく遊んだものだ
何故「空の駅」かというと、この場所は地上から約40mの場所にあるためだ
日本海の景色が美しい
高所恐怖症の私でも普通に歩けるような安全対策がとられている
写真を整理して気付いたが自分の目線より下方を撮した写真が一枚もない
自分で心の安全を保っていたようだ
EV内から撮った写真
昭和61年(1986年)12月28日午後1時25分頃、鉄橋を通過中の回送列車が日本海からの突風にあおられ、機関車と客車の台車の一部を残して7両が転落、真下にあった水産加工場や民家を直撃した
転落事故を契機に、架け替えに向けた取り組みがなされ、平成22年8月に現在の余部橋梁が完成した
歴史の継承と観光拠点とするため、鉄橋の一部(餘部駅側の3橋脚3スパン)を展望施設として残した
旧鉄橋直下に自由広場等からなる公園施設とあわせ、平成25年5月に展望施設「空の駅」が完成した
展望施設へ行くには急勾配の上り坂(高低差約40m、延長約300m)を歩行する必要があったため、平成29年11月にエレベーター(愛称:余部クリスタルタワー)を整備した
「空の駅」開設記念碑と東屋
慰霊碑「聖観世音菩薩」
放浪の旅での相棒「ハイエース」
撮影 令和元年5月22日
十数年前に初めて鉄橋を見たときから、今回で6・7回訪れている
今は、道の駅も併設され休憩するには便利な場所になっている
不思議とこの場所に来るときは、いつも雨が降っている
と言うより、雨が降っても大丈夫な「砂の美術館」へ向かう途中にあるのだ
この日は雲一つない快晴ということもあり、カメラを持って車を降りた(2015年以来となる)
EVなども設置され約1分で「空の駅」へ。坂道を上り列車を待ちカメラを構えた頃が懐かしい
ホームにある小さな待合所には発着時刻表
訪れた人が記入した思い出のノートが何冊も置かれていた
私は文章が苦手なので、写真で記録した
餘部鉄橋「空の駅」
ここの線路は車両が通らないため自由に歩くことができる
私の父は国鉄職員だったので、子供の頃は線路でよく遊んだものだ
何故「空の駅」かというと、この場所は地上から約40mの場所にあるためだ
日本海の景色が美しい
高所恐怖症の私でも普通に歩けるような安全対策がとられている
写真を整理して気付いたが自分の目線より下方を撮した写真が一枚もない
自分で心の安全を保っていたようだ
EV内から撮った写真
昭和61年(1986年)12月28日午後1時25分頃、鉄橋を通過中の回送列車が日本海からの突風にあおられ、機関車と客車の台車の一部を残して7両が転落、真下にあった水産加工場や民家を直撃した
転落事故を契機に、架け替えに向けた取り組みがなされ、平成22年8月に現在の余部橋梁が完成した
歴史の継承と観光拠点とするため、鉄橋の一部(餘部駅側の3橋脚3スパン)を展望施設として残した
旧鉄橋直下に自由広場等からなる公園施設とあわせ、平成25年5月に展望施設「空の駅」が完成した
展望施設へ行くには急勾配の上り坂(高低差約40m、延長約300m)を歩行する必要があったため、平成29年11月にエレベーター(愛称:余部クリスタルタワー)を整備した
「空の駅」開設記念碑と東屋
慰霊碑「聖観世音菩薩」
放浪の旅での相棒「ハイエース」
撮影 令和元年5月22日