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蔵のまち、喜多方から、
10月24日(日) 本日、関柴公民館に於いて
きたかた喜楽里博・行ってみんべぇ・・郷土歴史講演会。
「国指定重要文化財・勝福寺観音堂」について、講演会と勝福寺観音堂の拝顔祈願が行なわれました。私も参加してきました。大変有意義な集いでした。主催は関柴公民館。
関柴公民館ホールいっぱいの参加者です。
第一部は講演です、喜多方市教育委員会文化課 山中 雄志氏、「勝福寺観音堂について」
第二部は上勝地区に在る勝福寺へ向い観音堂の拝顔とご本尊の十一面観音菩薩を特別にご開帳していただき拝顔してまいりました。
年に三回のご開帳しかありません。8月17日に、市内の真言宗、満福寺住職により読経のあとご開帳になります、その折もカメラを向けると言うことは有りませんでしたが、本日の参加者の皆さんが盛んにシャッターを切ってます。誰も咎める事も無いので、私も初めてカメラを向けて画像納めてきました。
おそらく観音様も大勢の方からフラッシュを焚かれてのは初めてだと思います。
次の二像は、脇侍の毘沙門天像と不動明王像です。
勝福寺については数回画像と共に紹介していますが、歴史的建造物として勝れていると言う事で国の重要文化財建造物に指定されています。室町時代後期のお堂建築の有様を良くとどめているとのことです、
以下は本日の講師、山中氏の講演からの引用です。
縁起としては、大同二年開基の伝えもあるそうですが、こうなると平安時代の初期まで遡ってしまします、現存する墨書、文献史料などでは不動、毘沙門天胎内墨書に「弘安二年」(1279)があるそうです。
塔寺八幡宮長帳に「享禄二年 すぐれの観音堂やけ申し候」(1529)の記録が残り、
つまり、火災によって焼失しています、永禄元年(1558)時の会津領主葦名盛興により再建されています。
観音堂は梁三間、桁四間、四面堂形式、堂内に六本の柱がありその周囲一間通りを外陣とし、中央一間に二間の長方形の内陣となり、内陣の奥に一間分仏壇を設け厨子を置き本尊を安置してあります。
本日初めて気が付いたのですが、厨子の中に観音さまのお顔だけが見える仏像が安置してあり胴から下は厨子の下に隠れて見えないようになっていました。
これはチョット珍しい安置の方法だと思います。
長くなりそうなので、縁起等、由来については再度投稿します、
仁王門も在り仁王様が睨みを利かせています。
どうぞ、関柴町上勝・勝福寺観音堂へお参りください、会津三十三観音の第六番札所です。郷土歴史講演会を開催していださいた関柴公民館及び共催の皆さんに御礼を申し上げます。
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