蔵のまち、喜多方から、
12月12日(日)岩越鉄道山都駅開通100周年記念の式典が行なわれました。
JR磐越西線「山都駅」駅前広場に於いて13:36分の列車到着に合わせての歓迎セレモニーです。
上・下列車が1番線・2番線で列車交換です。 山都町・飯豊権現太鼓の皆さんが歓迎しました。
来賓によりクスダマを割り、
参加した市民全員で晴れわたった大空に向ってお祝いの風船を放ちました。
風船は風に乗って、一の戸橋梁の方へ飛んでゆきました・・この風船は環境にやさしい物質で造られているそうです。
その一の戸橋梁を通過する列車です。時間をおいて上りの列車と下りの列車を写してきました。この橋梁は数回画像投稿していますが、近代化産業遺産に認定されています。
喜多方駅と山都駅間の最も難工事であったのがこの一の戸橋梁と慶徳トンネルだったそうです。
記念講演会が山都開発センター大集会場で開催され大勢の市民が聴講しました。
演題 「鉄路遥かに~官設鉄道岩越線物語~」
講師 山都町郷土史研究会事務局長 佐藤 仁(さとう ひとし)先生
100周年記念の為に佐藤先生はじめ山都町郷土史研究会の皆さんは数年がかりでJRの他各図書館や鉄道関連の資料館など、さらに多くの町の人々から資料を提供していただき
冊子 ~官設鉄道岩越線物語~を作成いたしました、本日はその史料を元にしての講演でしたが明治5年の我が国最初の鉄道敷設から国会へ岩越鉄道敷設の請願、会社の創立、敷設工事、そして路線の争奪戦が有ったのです。
坂下か喜多方か・・会津若松から先の工事について予算難、経費削減の為に坂下に設計変更する案が決定通告されますが、喜多方や山都の人々はこの決定に異を唱えます。会社側と数十回の交渉をして遂に喜多方敷設を決定しますが、喜多方で多大な資金を出資することになります。
幾多の困難の末に喜多方駅~山都駅間も完成し、明治43年12月15日に開通します。
この日は晴天で、町じゅうの人々が日章旗を振って、鉄道唄歌を合唱して祝ったそうです。