「江戸を感じた日曜日(その1)」のつづきです。
ついにやってまいりました、台東区立 一葉記念館
「○○区立」なんてのがついた「記念館」となれば、景気の良いときに建てられたハコモノのイメージが強いのですが、この一葉記念館については、ちょいと様相が異なります。
記念館のHPの「一葉記念館の成り立ち」から引用しますと、
名作「たけくらべ」の舞台となった龍泉寺町(現・竜泉)の人々は、一葉の文学業績を永く後世に遺すべく、有志により「一葉協賛会」を結成しました。
昭和24年(1949)には戦災で失った「一葉記念碑」を再建し、続いて昭和26年(1951)には一葉記念公園に「一葉女史たけくらべ記念碑」を建設、さらに昭和35年(1960)には一葉の旧居跡に「樋口一葉旧居跡碑」を建立しました。
協賛会は、残る大事業として記念館建設を目指し、有志会員の積立金をもとに現在の用地を取得し、台東区に寄付をして記念館建設を要請しました。
台東区は、こうした地元住民の熱意に応えて、記念館建設を決定し、昭和36年(1961)5月11日に開館に至ったのです。当時、女流作家の単独資料館としてはわが国で初めてのものでした。
その後40年余りを経て、館の老朽化が進んだことや樋口一葉が新五千円札の肖像に採用されたことを機に、平成18年(2006)11月1日にリニューアルオープンしました。
だそうです。
地元の有志がここまでやったら、区だって動かなければ「下町の名がすたる」ってやつだと思います。
一葉女史が龍泉寺町に住んでいたのは、1893年7月~1894年5月のあしかけ11か月に過ぎません。ですが、龍泉寺町での生活が、名作「たけくらべ」につながったことは、地元の人たちの大きな誇りになっているのでしょう。
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一葉記念館にたどり着くまでに、記念館のポスターを何枚見かけたことでしょうか
記念館建設の経緯を知るにつけ、町内の掲示板だけなく普通の民家の壁にも貼られているポスターを見るにつけ、一葉女史に対する地元の人たちの尊敬の念と誇りが、現代にも伝えられているのだろうと思いました。
この感覚は、高知の「龍馬の生まれたまち記念館」で感じたもの(記事はこちら)と似ています。
なんだかウルウルしてしまいます…
一葉記念館と一葉女史の旧居(自宅兼店舗)と、旧吉原遊郭との位置関係は、こちらの案内図でよ~く判ります。
一葉女史が龍泉寺町に住んでいた当時、吉原遊郭は江戸時代のまま、廻りを「お歯黒どぶ」に囲まれて、大門(おおもん)以外の出入りが不可能だったのか、はたまた何カ所か入口があったのか、未調査ではありますが、なか(=吉原)と至近の場所で暮らしていたことが一目瞭然です。
地政学じゃないけれど、地図を見て、現場に行って、その場の空気を吸って、昔の様子を思い浮かべるのは、かなり意味があることだと思います。
一葉記念館のことは、まだ続きます。
つづき:2010/10/09 江戸を感じた日曜日(その3)