「江戸を感じた日曜日(その 7)」のつづきです。
江戸東京博物館(江戸博)で開催中の特別展「隅田川 江戸が愛した風景」、かなり楽しめたのは確かなのですが、正直、ちょっと飽きました…
約150点もの出品作品のすべてが隅田川にまつわるもので、全体の2/3が江戸時代の作品ですから、研究者や「隅田川フェチ」ならともかくも、わたしのような人間では、ちょっと単調さを感じてしまいました。
展示作品の約8割は江戸博の収蔵品だとか。さすがは場所柄、気合いが入っていますなぁ。
縁もゆかりもない大家の作品を目玉にして、他には貧弱なコレクションしか持たない公立美術館も少なくない中、これ自体、大変に結構なことだと思います。
そんなコレクションの中でひときわ観客の目を惹いていたのは、「影からくり絵」と呼ばれる手法でつくられた作者不詳
の浮世絵2枚、「伊達騒動 隅田川高尾吊し切りの図」と「両国夕涼花火見物之図」でした。
「影からくり絵」というのは、絵の一部を切り抜いて、切り抜いた部分を薄い紙で裏打ちしたもの。
普通の明るい場所で観ると普通の絵ですが、暗闇の中で、絵の裏側から光
を当てると、薄い紙の部分だけが浮かび上がる仕掛けです。
これじゃ判りませんよね…
百聞は一見に如かずで、現物を見ていただくのが一番なんですが、こちらの方のブログをご覧頂けば、ある程度イメージが沸くのではないでしょうか。
なぁ~んときれい なぁ~んと楽しい
いいなぁ~、江戸
展示を観ていて残念だったのは、隅田川のどの地点を描いたのか判らない作品が多かったこと。キャプションに、地名や橋の名前が書かれていても、地元の人や研究者や「隅田川フェチ」じゃないと、なかなかわかりません。
展示の終わりの方に、隅田川に架かる橋を図示したものが掲げられていましたけれど、できることなら、出品目録に簡単な流域地図でも載せてくれていたら良いのになぁ~
もうちょいと工夫したら、もっと多くの人がもっと楽しめる展覧会になったような気がします。
隅田川は、赤羽近くの岩淵水門で荒川から別れて東京湾に注ぐ23.5kmの一級河川です。
架かっている橋は、首都高とか鉄道専用とか人が渡れないものを除くと、全部で26。
上流から並べてみましょう。カッコ内は最初に架橋された年、文字色は、■江戸時代、■明治&大正時代、■太平洋戦争敗戦まで、■その後に架けられたことを示しています。
新神谷橋(1965)⇒新田橋(1961)⇒新豊橋(2007)⇒豊島橋(1925)⇒小台橋(1933)⇒尾久橋(1968)⇒尾竹橋(1934)⇒千住大橋(1594)⇒千住汐入大橋(2006)⇒水神大橋(1988)⇒白鬚橋(1914)⇒桜橋(1985)⇒言問橋(1928)⇒吾妻橋(1774)⇒駒形橋(1927)⇒厩橋(1874)⇒蔵前橋(1927)⇒両国橋(1659)⇒新大橋(1693)⇒清洲橋(1928)⇒隅田川大橋(1979)⇒永代橋(1698)⇒相生橋(1903)⇒中央大橋(1993)⇒佃大橋(1959)⇒勝鬨橋(1905)
これじゃ、ちょっと判りづらいので、時代のポイントごとに見てみましょうか。
まず、明治維新(1868年)の時点から。
千住大橋⇒吾妻橋⇒ 両国橋⇒新大橋⇒永代橋
たった5つしか橋は架かっていませんでした。
次に、昭和元年(1926)時点では、
豊島橋⇒千住大橋⇒白鬚橋⇒吾妻橋⇒厩橋⇒両国橋⇒新大橋⇒永代橋⇒相生橋⇒勝鬨橋
あまり増えていませんな。
そして、いわゆる「先の大戦突入時」では、
豊島橋⇒小台橋⇒尾竹橋⇒千住大橋⇒白鬚橋⇒ 言問橋⇒吾妻橋⇒駒形橋⇒厩橋⇒蔵前橋⇒両国橋⇒新大橋⇒清洲橋⇒永代橋⇒相生橋⇒勝鬨橋
16の橋が架けられています。
できることなら、地図の上に時代を追って橋が架けられた順番にプロットされるようなアニメーションを載せたいところですが、あいにくと私はその辺のスキルを持ち合わせておりません。
残念です。
今の東京は、明治維新を機に一気にできあがったものではなくて、ベースは江戸にあるのだということ、暮らしていた人も、江戸時代から明治へと時代の変化を人生の中でアナログ的に受け止めていかざるをえなかったこと、この辺りは歴史の教科書だけでは理解できない気がします。
いろいろな機会を通じて、自分の目で観ることって、大事だな…と思う私であります。