きのうの雪、なんでも東京都心でも20cm以上も積もる20年ぶりの大雪だそうで、自宅
付近でもかなり降りました。
こりゃ数日は電車通勤かな… と思ったら、きょうの暖かさ
で雪がグングンと溶けたし、駐車場
の除雪もできたし(さっき給油
してきました)、明日はクルマ
で通勤できそうです。
よかったよかった…
つづきのようなもの:2014/02/11 大雪のあとの通勤
きのうの雪、なんでも東京都心でも20cm以上も積もる20年ぶりの大雪だそうで、自宅
付近でもかなり降りました。
こりゃ数日は電車通勤かな… と思ったら、きょうの暖かさ
で雪がグングンと溶けたし、駐車場
の除雪もできたし(さっき給油
してきました)、明日はクルマ
で通勤できそうです。
よかったよかった…
つづきのようなもの:2014/02/11 大雪のあとの通勤
「忘れた頃に年末の愛知旅行記を再開(その2)」で予告したように、明治村「4丁目」探訪記です。
Googleマップで明治村の位置を見ると、
宇治山田郵便局が表示されています。
ん? 宇治山田といえば伊勢市じゃないの?
実際、明治村のこの位置には「宇治山田郵便局」が立っています。
この建物(重要文化財)は、1909(明治42)年に伊勢外宮前に建てられて、1968(昭和43)年に解体(翌年移築)されるまで郵便局として活躍したものだそうな。
内部には、三重県関連のものやら郵便ポストが展示されていました。
局舎の奥まったところにある「集配人・運送人控室」の床に注目
この窪みは、お風呂
、、、のはずもなく
、囲炉裏です。
今でいう郵便職員の方々が、囲炉裏で暖をとったんですなぁ。
ところで、Googleマップに「宇治山田郵便局」と表示されているこの建物、実際に郵便局として機能しています
もちろん、正式な名称が別にありまして、「博物館明治村簡易郵便局」
ゆうちょも扱っていますが、ATMはありませんのでご注意ください
その代わり、「定形サイズの封書をお預かりし、10年後のお預かりした月に、指定された住所宛にお預かりした封書を投函する」という「はあとふるレター」というサービスを取り扱っています。
ただ、10年後には相手が引っ越してしまっている可能性は否定しきれません
このサービスでは、「お届け先の変更は、お手紙の発送予定月の半年前(お預かりより9年6ヵ月後)から承ります」だそうですけれど、差し出した方が忘れている可能性もあるわけで、「配達先不明
」が結構出るのではなかろうかと思います
ところで、この「宇治山田郵便局」、現在はどうなっているのでしょうか?
調べると、組織・機能としては、1955(昭和30)年に「伊勢郵便局」と改称し、1967(昭和42)年に移転・新築して現在に至っている由。
また、敷地はどうかと…、
地図の中央やや右に見える「伊勢外宮前郵便局」の辺りかと思うのですが、ストリートビューで見ると、、、
ありゃぁ~、普通の「街の郵便局」です…
でも、裏手には、1923(大正12)年に「山田郵便局電話分室」として建てられた建物が残っていて、「ボンヴィヴァン」というフレンチレストランとして現役
のようです。
三重県は私にとって「足跡のない2県」の一つ(もう一つは和歌山県)でして、いつかは行きたいと思っています。
その時用に、頭にメモっておくことにしましょう。
「4丁目」には病院(の建物)が2棟立っていまして、その一つが「日本赤十字社中央病院病棟」です。
驚いたのは、この瀟洒な建物の設計者が、片山東熊だということ
片山東熊といえば、国宝・旧東宮御所(迎賓館赤坂離宮)を始めとして、東博(表慶館)、京博(特別展示館)、奈良博(なら仏像館)など、壮麗
な建築を得意とする巨匠ですが、その代表作とはかなり作風が違います。
例えば、屋根の上に突き出した換気塔が、棟と45°の角度で取り付けられているところなんぞ、かなりcute
Wikipediaで片山さんの「主な作品」を眺めると、この「日本赤十字社中央病院病棟」と相通ずるところのある「新宿御苑御休所」が載っています。
片山さんの初期の作風なのかな? と「新宿御苑御休所」を調べると、国交省のサイトを見ても、東京都のサイトを見ても、現地の案内板でも、設計は「宮内省内匠寮」になっています。
と、「新宿御苑御休所」の建築年、Wikipediaの「片山東熊」では「1888年(明治21年)」となっているのに、上に載せた各サイトも、同じWikipediaの「新宿御苑」でも、「1896年(明治29年)」になっています。
どういうこと??????
この疑問はとっておいて、「日本赤十字社中央病院病棟」の中に入りましょ
出迎えてくれるのは、ど~ん
壮麗に飾られた赤十字の徽章。
説明を読み下したところによれば、これは関東大震災で被災した「旧本館の屋上中心部の装飾」だったそうで、1926年に鉄筋コンクリート建ての本館が完成した折に「永く皇恩の厚きを仰ぎ」「長えに光輝ある旧館の俤(おもかげ)を記念」するため、保存されることになったものらしい。
有職文様の「桐竹鳳凰」の装飾は、昭憲皇太后から「下賜」いただいたものとのこと。
解体前(1970年頃)の写真を見ると、
換気塔を載せた病棟が統一感を整然と(廊下が北側、病室が南側に)並んでいて、かなりステキです。
現在、日本赤十字社医療センターは、13階建てになっています。
さすがに都心の一等地ですから、かつてのような土地の使い方はもったいないですものねぇ…
お名前から察せられるとおり、名家・近衛家の当主でいらっしゃいますが、お顔立ちが誰かと似てませんか?
そう、細川護煕元総理(リンク先はきょうまでの時限サイトなのか?)の実弟です。
Wikipediaから引用しますと、
外祖父近衞文麿(母の父)の長男で伯父にあたる文隆がシベリア抑留中に死去し、近衞家の当主が不在となったため、1965年(昭和40年)に母の実家である近衞家の養子となった(伯父の文隆の夫人の養子)。
という次第。
「4丁目」もう一つの病院は、「名古屋衛戍病院」、要するに軍の病院です。
外廊下と渡り廊下の繋がりが気持ちいい
奥に見える病棟に、昔の医療機械が展示されていまして、右の写真は「医療用X線装置 ダイアナ号」(「号」がイイ
)で、下がその電源装置です。
大正7(1918)年から島津製作所で製作された機械式整流方式による医療用X線装置。極めて高性能な機種で、X線装置の本格的普及に大きな影響を与え、国内はもとより海外にも数多く輸出された。
そうですが、大仰な碍子とか古風なメーター、そして家具のような木枠を見ていると、映画「メトロポリス」(私が観たのはジョルジオ・モロダー版)で、科学者がロボット「マリア」を造るシーンを連想いたしました。
なかなかはかどりませんが、きょうはここまで
「その4」も「4丁目」からお送りする予定です。
つづき:2014/02/10 忘れた頃に年末の愛知旅行記を再開(その4)
後日談:2014/05/01 お伊勢参りの順番