新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

忘れた頃に年末の愛知旅行記を再開(その5)

2014-02-14 20:16:54 | 旅行記

「忘れた頃に年末の愛知旅行記を再開(その4)」のつづきは、明治村「3丁目」からお送りします。

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と、その前に、、、またもや

先週は東日本を中心にしただったのが、今週は関西から東北にかけて広範な地域大雪になっているようです。

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今週末の「MISIA星空のライヴVII -15th Celebration- Hoshizora Symphony Orchestra」横浜公演に遠征してくる皆さんは無事に横浜アリーナにたどりつけるのでしょうか

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Good Luck と切に願う私でございます。

ちなみにきょうの私、こののため、会社基本的に午前中で終わったことから、早々に帰宅しています。
きのうのうちから、きょうは電車で出勤するつもりで、実際、そうしたもので、大きな影響は受けませんでした

明日は、昼頃までには雪がだいぶ溶けて、何事もなかったように横浜に出撃できる気がしています(希望的観測かもしれませんナ

   

さて、明治村「3丁目」

「4丁目」から「3丁目」に向かって歩く途中、こんなものがありました。

140214_1_04 現代アートっぽく見えますが、これは、下関市彦島たけのこ島町cuteな地名)にあった「台場鼻潮流信号機」だそうです。

説明板によりますと、

関門海峡は、潮流が急で海峡幅が狭く、とくに明治後半には交通量も増加し、衝突座礁する船舶が少なくなかった。
この潮流信号機は、明治42年8月、竹ノ子島の台場鼻通潮流信号所に設置され、航行する船舶の安全を図るため潮流の方向、緩急を70年間も知らせ続けその役目を果たしてきた。

そうな。

関門海峡海上交通センターのサイトによれば、

黒い四角板■が、上70度の場合は東流中央期、上30度は東流初又は末期、赤い丸板が上70度の場合は西流中央期、上30度は西流初又は末期を表してい
ました。
なお、夜間は、灯台の閃光の間隔、色によって表していました。

ですと。

140214_1_05上の写真の状態は、「西流(周防灘から玄海灘の方へ流れる潮流)の中央期(速い)を示しているわけですな。
そして、現在は、

電光板・日本語放送・テレホンサービスでお知らせしています。

で、右の図は台場鼻潮流信号所を含む潮流信号所の位置と、電光板の視認範囲を示したもの。

なるほど~、勉強になります。

   

こちらの「建物」、何だと思います?

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入鹿池の畔に立つ四阿(あずまや)の風情ですが、四阿にしてはかなりデカい

説明板には、「宗教大学車寄」とあります。

この車寄は東京郊外の巣鴨に(1908年:明治41年に)新築された宗教大学本館の正面に設けられた。本館は中央にバロック風の角ドームをのせた大屋根をいただく一文字型で、二階建ての洋風建築であった。車寄の高さが6.9mにもなることから、本館が壮大な建築であったことがうかがえる。

「宗教大学って?」と思いますが、

仏教学を専門とする宗教大学は、大正15年(1926)に大正大学と改称されたが、校舎は昭和43年(1968)の解体まで続けて使用された。

ということで、現在の大正大学です。

Wikipediaに載っている写真雪景色)に、中央にバロック風の角ドームをのせた大屋根をいただく一文字型で、二階建ての洋風建築であったという本館とこの車寄が写っています。

   

上に載せた「宗教大学車寄」の写真を撮った場所で、ふり返ると「神戸山手西洋人住居」が立っています。

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「木造総2階建の主屋と付属屋からなる住宅」なんですが、付属屋の2階がかなり違和感ありでした。
アップにしますと、

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白塗りの下見板を除けば、屋根瓦を含めて、完全に和風です

この建物は、

当初は外国人のものであったと思われるが、同29年(1896)には日本人増田周助の所有であったとの記録がある。

というものなんですが、増田さんが和風に改装したのか、はたまた、最初に所有した外国人が異国情緒を楽しもうと和風に造らせたのか判りません…
後者だったら面白いんだけどねぇ…。

この「神戸山手西洋人住居」の隣りも洋館で、

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こちらは、いかにもグラバー園にありそう と思ったら、案の上、「長崎居留地二十五番館」でした

この「長崎居留地二十五番館」の内部の展示のメインテーマが、どうしたことかトイレでした。

染付の便器とか、

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おまるとか…。

そのおまるというのが、そんじょそこらのものではないのが、「博物館 明治村」です。

例えばこちら

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説明板によれば、日光金谷ホテルで使われた「チェインバーポット」なんだそうですが、

チェインバーポットはベッドの下や、扉つき家具の中に収められておかれた『おまる』で、中には砂が入っていた。特に美しい装飾を施されることが多かった。

ですと
そしてこちら

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明治宮殿で使用された「便器(チェインバーポット)・洗面器・水差し」だそうな

洗面器おまるお揃いのデザインってのは…

いろいろ感じ入るところを胸に秘めて歩を進めると、おぉ

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「軍艦島」こと「端島」の模型です

去年の軍艦島探訪のこと(記事はこちら)が頭の中を巡りまくり

今、私のメインPCログイン&ログオフ画面は、こちらの写真を使っています。

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ログインの時はともかく、ログオフの時にこの画面が出ると、サヨナラ~ぁって感じでなかなか良いものです

ログイン&ログオフ画面の変更方法はこちらのサイトをご参照ください。

ちょいと話の流れが変わったところで「その6」に続きます。

つづき:2014/03/02 忘れた頃に年末の愛知旅行記を再開(その6)

コメント
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