新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

あの日から6年

2017-03-11 19:34:42 | 日記・エッセイ・コラム

きょうは、「ヤボ用」といってもいいような仕事で休日出勤してきました。

土曜朝酷い渋滞を乗りきり、2時間以上かけて出勤したのに、その「ヤボ用」1時間もかからずに完了
たったこの時間のためだけにガソリン代高速代(きょうはあまりに酷い渋滞ゆえに首都高速回避して、ホントに正しい選択だったのか疑問に思うような酷い渋滞環八を通りました)と好天の休日の時間を使うのはあまりにもったいなかったため、お昼まで懸案の仕事を片付けてきました。

そして、駐車場に停めたクルマに戻ると、、、汚いことは十分に判っていたのですが、黄砂にまみれた愛車の汚いこと汚いこと

洗っても、また黄砂にまみれるのは必至とはいえ、これじゃあまりに酷い ってことで、自宅~勤務先6往復(走行距離は750km)して燃料残量警告灯が灯った状態で行きつけのガソリンスタンドに立ち寄り、給油&洗車してきました。

そして自宅に帰り着くと、防災無線から「春の小川が流れてきました。
昼で仕事を終わり、昼食を摂って、給油&洗車しただけで帰ってきたはずなのに、もう4時
往復4時間超だもんな…

でも、ふり返れば、私の通勤史上最長記録は、6年前の3月11日の帰宅に要した6時間でした。
7時頃丸ノ内の職場を出発して、ひたすら中山道(=R17を歩き、日が変わった12日の1時頃に自宅に帰り着いたのでした。

そのときのことは当日(2011年3月12日)の記事に書きましたが、3月12日朝の時点では、「死亡・不明 1,000人超」としか判らなかったんですねぇ。

仙台平野を突き進む津波リアルタイムの映像職場のTVで見た感じからすれば、とてもそんなものじゃすまないだろうとは思ったのですが、まさか2万人もの死者・行方不明者が出ていたとは思いもよりませんでした。

あの日から6年経って、復興した部分もあるけれど、一方で、福島から避難している人たちへの差別やいじめのニュースを見聞きすると、風化ではなく劣化した部分もあるだなと、悲しい気持ちになります。

あの日のことは一生忘れられないと思いますが、あの頃の気持ち忘れてはならないと思うのです。

コメント
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