きょうは、「ヤボ用」といってもいいような仕事で休日出勤してきました。
土曜朝の酷い渋滞を乗りきり、2時間
以上かけて出勤したのに、その「ヤボ用」は1時間
もかからずに完了
たったこの時間のためだけにガソリン代と高速代
(きょうはあまりに酷い渋滞
ゆえに首都高速を回避して、ホントに正しい選択だったのか疑問
に思うような酷い渋滞
の環八を通りました)と好天
の休日の時間
を使うのはあまりにもったいなかった
ため、お昼まで懸案の仕事を片付けてきました。
そして、駐車場に停めたクルマ
に戻ると、、、汚い
ことは十分に判っていたのですが、黄砂にまみれた愛車の汚いこと汚いこと…
洗っても、また黄砂にまみれるのは必至とはいえ、これじゃあまりに酷い
ってことで、自宅~勤務先を6往復(走行距離は750km)して燃料
の残量警告灯
が灯った状態
で行きつけのガソリンスタンド
に立ち寄り、給油&洗車してきました。
そして自宅に帰り着くと、防災無線から「春の小川
」が流れてきました。
昼で仕事を終わり、昼食を摂って、給油&洗車しただけで帰ってきたはずなのに、もう4時…
往復で4時間超
だもんな…
でも、ふり返れば、私の通勤史上、最長記録は、6年前の3月11日の帰宅に要した6時間
でした。
夜7時頃に丸ノ内の職場を出発して、ひたすら中山道(=R17)を歩き、日が変わった12日の1時頃に自宅に帰り着いたのでした。
そのときのことは当日(2011年3月12日)の記事に書きましたが、3月12日朝の時点では、「死亡・不明 1,000人超」としか判らなかったんですねぇ。
仙台平野を突き進む津波のリアルタイムの映像を職場のTVで見た感じからすれば、とてもそんなものじゃすまないだろうとは思ったのですが、まさか2万人もの死者・行方不明者が出ていたとは思いもよりませんでした。
あの日から6年経って、復興した部分もあるけれど、一方で、福島から避難している人たちへの差別やいじめのニュースを見聞きすると、風化ではなく劣化した部分もあるだなと、悲しい気持ち
になります。
あの日のことは一生忘れられないと思いますが、あの頃の気持ちを忘れてはならないと思うのです。