新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

6年前の南九州旅行 4日目のこと(前編)

2017-03-26 16:43:28 | 旅行記

何事も起こらなければ、今週末、2泊3日(月曜日は年休)の鹿児島旅行に出かけているはずでした。
3月25-26日の両日に仙厳園で開催される「世界遺産劇場 Misia Candle Night 鹿児島 仙厳園」 がお目当てだったのですが、MISIA急病でライヴが5月末に順延されてしまいました。

せっかく航空券マイレージ特典で確保し、ホテルを予約し、そして月曜日に年休を取ることを職場内で宣言していましたから、ライヴがなくても、6年ぶりに鹿児島に出かけてみようかと考えましたが、2ヶ月後に行くのだからと、今回は自宅蟄居していることにしました。

前回鹿児島に出かけたのは、2011年のゴールデンウィークで、このとき、仙厳園にも行ってきました。ところが、6年前の旅行のことは、このブログで旅行記本編を書いていた途中で筆が折れ(最後の記事はこちら)、仙厳園でのことはダイジェストでしか書いていません。これといって書かなかった理由は思い当たりませんが、あまりに酷い黄砂のせいで桜島が見えなかったことに気落ちしてしまったことがあるかもしれません。

でも「特段、やらなきゃならないことがない」せっかくの機会ですから、6年前南九州旅行4日目のことを書いてみることにします。

   

このときの旅行の日程をざっくりと書いておきますと、

  • 初日:自宅⇒クルマ⇒羽田空港⇒飛行機⇒熊本空港⇒バス⇒熊本市街(熊本泊)
  • 2日目:熊本市内観光(水前寺成趣園熊本城)⇒熊本駅⇒新幹線⇒鹿児島中央駅(鹿児島泊)
  • 3日目:鹿児島中央駅前⇒路線バス⇒知覧観光(知覧特攻平和会館武家屋敷通り)⇒路線バス⇒鹿児島市街地(鹿児島泊)
  • 4日目:鹿児島市内観光(仙厳園・尚古集成館城山 ほか)⇒鹿児島中央駅⇒ 特急きりしま⇒南宮崎駅⇒タクシー⇒宮崎空港⇒飛行機⇒羽田空港⇒クルマ⇒自宅

というものでした。

で、最終日4日目のちょっと詳しい旅程は、

ホテル⇒徒歩鹿児島中央駅バスカゴシマシティービュー城山・磯コース)城山城山展望台⇒徒歩薩摩義士碑バス:カゴシマシティービュー(城山・磯コース)仙厳園前仙厳園・尚古集成館バス:カゴシマシティービュー(ウォーターフロントコース)薩摩義士碑前⇒徒歩西郷隆盛終焉の地⇒徒歩私学校跡⇒徒歩鶴丸城跡⇒徒歩西郷隆盛像⇒徒歩ザビエル滞鹿記念碑⇒徒歩鹿児島中央駅特急きりしま南宮崎駅⇒タクシー⇒宮崎空港⇒飛行機⇒羽田空港⇒クルマ⇒自宅

というもので、珍しく南宮崎駅⇒宮崎空港間でタクシーを使いましたが、基本的には例によって路線バス(ホテルで割引券get)と徒歩で動きまわりました。

カゴシマシティービュー

そうそう、その宮崎のタクシー、運転手さん霧島の噴火について語り合った(?)のですが、運転手さんの言葉が判らなくて判らなくて、でも、何度も聞き直すのも悪いかと思って、適当に話を合わせましたっけ…

さて、最初に訪れた城山展望台、天気がよければ、桜島どぉ~ん と、、、、

見えるはずだったのですが、

、、、のはず

なに、これ…
全然見えないじゃないの…

これじゃ、写真パネルを掲げて記念撮影するか、

鉄棒に興じるしかありませぬ。

なんとも残念でございました。

それでも、城山から下る途中で何匹ものネコにお目にかかり、ちょっとは心が慰められました。それにしても、ネコが多いぞ、城山

城山展望台がこんな具合だったものですから、仙厳園からの眺めも期待できないかもしれないと思いつつも、かすかな期待を胸に仙厳園に向かいました。
バスの割引券には、仙厳園から観た桜島のこんな写真が載っていましたから…

ところが、城山展望台からの眺めに比べればほんの少しマシながら、やはり桜島ほとんど見えませんでした

仙厳園からの眺め

天気悪くなかったんですよ。
新緑が目に飛び込んでくる気持ち良い天気

でも、桜島見えませんでした

こんなに良い天気なのにねぇ~
なんとも恨めしい黄砂でした。

   

ところで、この仙厳園という施設、リーフレットから引用しますと、

仙厳園万治元(1658)年、19代島津光久が別邸として構えたものであり、その後、歴代の当主らによって受け継がれました。
21代島津吉貴は、隠居後仙厳園に居住し、礒奉行を置いて園内の整備に努め27代島津斉興の時には庭地拡張が行われました。また、28代島津斉彬は隣接地に集成館を築くなど、島津家の長い歴史の中でも重要な意味を持つ場所となっています。さらに、明治時代には、29代島津忠義と後の30代島津忠重らが暮らしたこともある由緒ある庭園です。

だそうな。

350年以上の歴史を持つ由緒正しき庭園、というわけですが、ちょっと不思議じゃありませんか?
「Misia Candle Night 鹿児島 仙厳園」「世界遺産劇場」と銘打たれているからには世界遺産なのですが、どうしてここが世界遺産なんだ? ということ。

実は、世界遺産に登録されているのは、仙厳園ではなく、お隣の旧集成館です。

日本をdisことに至上の喜びを感じているらしい隣国のいちゃもんをかいくぐって2015年に世界遺産に登録された「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼,造船,石炭産業」の物件に、軍艦島こと端島炭鉱などと一緒に「旧集成館」が掲げられています。

仙厳園・尚古集成館のリーフレットから引用します。

嘉永4(1851)年、薩摩藩主に就任した島津斉彬は、礒地区を中心に富国強兵・殖産興業政策を推進するため集成館事業を興しました。この事業は造船・造砲・製鉄・紡績・ガラス・印刷・電信・医療・福祉など、様々な分野に及んでいました。(中略)
文久3(1863)年の薩英戦争で、西洋の軍事力や科学技術の凄さを見せつけられた薩摩藩では、薩英戦争で焼失した集成館の再建にはげみ、石造洋風工場建築の機械工場(尚古集成館本館)を造るなど、事業の充実を図りました。島津斉彬の夢は、薩摩藩の多くの家臣らにも受け継がれていました。彼らによって明治維新が成し遂げられ、日本は近代国家へと生まれ変わったのです。

だそうで、 尚古集成館は、集成館事業に関する博物館になっていまして、産業遺産好きの私は、非常に興味深く見学させていただきました。

ただ、内部が撮影禁止だったのが残念…。

仙厳園に行くと、必然的に、反射炉跡とか、

大砲はご覧になると思いますが、

「世界遺産劇場 Misia Candle Night 鹿児島 仙厳園」に行かれたら、仙厳園の散策と共に、尚古集成館を見学されることをお勧めします。

ということで、仙厳園・尚古集成館の見聞録はおしまいなんですが、せっかくですから、二部構成にして、後編では、鹿児島市街地に戻ってからの見聞録を書くことにします。

つづき:2017/03/27 6年前の南九州旅行 4日目のこと(後編)

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