何事も起こらなければ、今週末、2泊3日(月曜日は年休)の鹿児島旅行に出かけているはずでした。
3月25-26日の両日に仙厳園で開催される「世界遺産劇場 Misia Candle Night 鹿児島 仙厳園」 がお目当てだったのですが、MISIAの急病でライヴが5月末に順延されてしまいました。
せっかく航空券をマイレージ特典
で確保し、ホテル
を予約し、そして月曜日に年休を取ることを職場内で宣言していましたから、ライヴがなくても、6年ぶりに鹿児島に出かけてみようかと考えましたが、2ヶ月後に行くのだからと、今回は自宅
に蟄居
していることにしました。
前回鹿児島に出かけたのは、2011年のゴールデンウィークで、このとき、仙厳園にも行ってきました。ところが、6年前の旅行のことは、このブログで旅行記本編を書いていた途中で筆が折れ(最後の記事はこちら)、仙厳園でのことはダイジェストでしか書いていません。これといって書かなかった理由は思い当たりませんが、あまりに酷い黄砂のせいで桜島が見えなかった
ことに気落ちしてしまったことがあるかもしれません。
でも「特段、やらなきゃならないことがない」せっかくの機会ですから、6年前の南九州旅行4日目のことを書いてみることにします。
このときの旅行の日程をざっくりと書いておきますと、
- 初日:自宅⇒クルマ
⇒羽田空港⇒飛行機
⇒熊本空港⇒バス
⇒熊本市街(熊本泊)
- 2日目:熊本市内観光(水前寺成趣園、熊本城)⇒熊本駅⇒新幹線
⇒鹿児島中央駅(鹿児島泊)
- 3日目:鹿児島中央駅前⇒路線バス
⇒知覧観光(知覧特攻平和会館、武家屋敷通り)⇒路線バス
⇒鹿児島市街地(鹿児島泊)
- 4日目:鹿児島市内観光(仙厳園・尚古集成館、城山 ほか)⇒鹿児島中央駅⇒ 特急きりしま
⇒南宮崎駅⇒タクシー
⇒宮崎空港⇒飛行機
⇒羽田空港⇒クルマ
⇒自宅
というものでした。
で、最終日4日目のちょっと詳しい旅程は、
ホテル⇒徒歩
⇒鹿児島中央駅⇒バス:カゴシマシティービュー(城山・磯コース)
⇒城山
⇒城山展望台⇒徒歩
⇒薩摩義士碑
⇒バス:カゴシマシティービュー(城山・磯コース)
⇒仙厳園前
⇒仙厳園・尚古集成館⇒バス:カゴシマシティービュー(ウォーターフロントコース)
⇒薩摩義士碑前
⇒徒歩
⇒西郷隆盛終焉の地⇒徒歩
⇒私学校跡
⇒徒歩
⇒鶴丸城跡⇒徒歩
⇒西郷隆盛像⇒徒歩
⇒ザビエル滞鹿記念碑⇒徒歩
⇒鹿児島中央駅⇒特急きりしま
⇒南宮崎駅⇒タクシー⇒宮崎空港⇒飛行機
⇒羽田空港⇒クルマ
⇒自宅
というもので、珍しく南宮崎駅⇒宮崎空港間でタクシーを使いましたが、基本的には例によって路線バス(ホテルで割引券
をget
)と徒歩で動きまわりました。
そうそう、その宮崎のタクシー、運転手さんと霧島の噴火について語り合った(?)のですが、運転手さんの言葉が判らなくて判らなくて
、でも、何度も聞き直すのも悪いかと思って、適当に話を合わせましたっけ…
さて、最初に訪れた城山展望台、天気がよければ、桜島がどぉ~ん と、、、、
見えるはずだったのですが、
なに、これ…
全然見えないじゃないの…
これじゃ、写真パネルを掲げて記念撮影するか、
鉄棒に興じるしかありませぬ。
なんとも残念でございました。
それでも、城山から下る途中で何匹ものネコにお目にかかり、ちょっとは心が慰められました。それにしても、ネコ
が多いぞ、城山
城山展望台がこんな具合だったものですから、仙厳園からの眺めも期待できないかもしれない
と思いつつも、かすかな期待
を胸に仙厳園に向かいました。
バスの割引券
には、仙厳園から観た桜島のこんな写真
が載っていましたから…
ところが、城山展望台からの眺めに比べればほんの少しマシながら、やはり桜島はほとんど見えませんでした
天気は悪くなかったんですよ。
新緑が目に飛び込んでくる気持ち良い天気。
でも、桜島は見えませんでした。
こんなに良い天気なのにねぇ~
なんとも恨めしい黄砂でした。
ところで、この仙厳園という施設、リーフレットから引用しますと、
仙厳園は万治元(1658)年、19代島津光久が別邸として構えたものであり、その後、歴代の当主らによって受け継がれました。
21代島津吉貴は、隠居後仙厳園に居住し、礒奉行を置いて園内の整備に努め27代島津斉興の時には庭地拡張が行われました。また、28代島津斉彬は隣接地に集成館を築くなど、島津家の長い歴史の中でも重要な意味を持つ場所となっています。さらに、明治時代には、29代島津忠義と後の30代島津忠重らが暮らしたこともある由緒ある庭園です。
だそうな。
350年以上の歴史を持つ由緒正しき庭園、というわけですが、ちょっと不思議じゃありませんか?
「Misia Candle Night 鹿児島 仙厳園」が「世界遺産劇場」と銘打たれているからには世界遺産なのですが、どうしてここが世界遺産なんだ? ということ。
実は、世界遺産に登録されているのは、仙厳園ではなく、お隣の旧集成館です。
日本をdisることに至上の喜び
を感じているらしい隣国のいちゃもんをかいくぐって2015年に世界遺産に登録された「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼,造船,石炭産業」の物件に、軍艦島こと端島炭鉱などと一緒に「旧集成館」が掲げられています。
仙厳園・尚古集成館のリーフレットから引用します。
嘉永4(1851)年、薩摩藩主に就任した島津斉彬は、礒地区を中心に富国強兵・殖産興業政策を推進するため集成館事業を興しました。この事業は造船・造砲・製鉄・紡績・ガラス・印刷・電信・医療・福祉など、様々な分野に及んでいました。(中略)
文久3(1863)年の薩英戦争で、西洋の軍事力や科学技術の凄さを見せつけられた薩摩藩では、薩英戦争で焼失した集成館の再建にはげみ、石造洋風工場建築の機械工場(尚古集成館本館)を造るなど、事業の充実を図りました。島津斉彬の夢は、薩摩藩の多くの家臣らにも受け継がれていました。彼らによって明治維新が成し遂げられ、日本は近代国家へと生まれ変わったのです。
だそうで、 尚古集成館は、集成館事業に関する博物館になっていまして、産業遺産好きの私は、非常に興味深く見学させていただきました。
ただ、内部が撮影禁止だったのが残念…。
仙厳園に行くと、必然的に、反射炉跡とか、
大砲はご覧になると思いますが、
「世界遺産劇場 Misia Candle Night 鹿児島 仙厳園」に行かれたら、仙厳園の散策と共に、尚古集成館を見学されることをお勧めします。
ということで、仙厳園・尚古集成館の見聞録はおしまいなんですが、せっかくですから、二部構成にして、後編では、鹿児島市街地に戻ってからの見聞録を書くことにします。
つづき:2017/03/27 6年前の南九州旅行 4日目のこと(後編)