「『ビバ初め』札幌旅行記 #2-7」のつづきです。
8年前に北海道開拓の村を見学したとき、一番印象に残ったのは、いわゆる「鰊御殿」、で、そして、今回もやはり旧青山家漁家住宅が見どころ満載でした。
この旧青山家漁家住宅は、
青山家は安政8年(1859)山形県から渡道し、小樽沿岸を中心に鰊建網などを経営した漁家である。
建網経営には番屋をはじめ網倉、船倉のほか海産干場、船入澗(ふないりま)など多くの施設、設備を必要とした。
鰊漁場の建物が、このように集約的に保存されているところは少なく、貴重な遺構の一つである。
というものなのですが、 説明板
を見ると、この「施設」が「住宅」の範疇を超えて、いわば鰊コンビナートのようなものだったものであることが窺えます。
上に載せた写真は、番屋(従業員の寮みたいなもの)と青山さんのプライベートエリアが一緒になった「母屋」ですが、この建物だけでなく、いくつも倉(下の写真は網倉)や、網干し場などが復元されています。
私は、2014年度後半のNHK朝ドラ「マッサン」を土曜日のBSでまとめて観ていたのですが(欠かさず
、ではない
)、主人公のマッサン(モデルは竹鶴政孝さん)が大阪の鴨居商店(モデルはサントリー)を退職して北海道に渡ったとき、小樽の鰊漁の網元・森野熊虎さん(すげぇ名前
)と出会い、永く交流を深めるのですが、この森野さんの自宅っつうか、母屋がまさしく旧青山家漁家住宅で、ほぉぉ~
となりました。
そして、予想通り、「マッサン」のことを書いた説明書きがありました。
それはいい。
でも、よく読むと、、
旧青山家漁家住宅の前で撮影されました。
ちなみに、北海道編の熊寅番屋の中は、大阪のスタジオのセットで撮影されたものです。しかし当青山家の内部のレイアウトや資料なども参考して作られました。
ですと
落ち着いて考えれば、ドラマの中に何度も登場した番屋のシーン、そうそう何度も北海道ロケをするわけにはいかないでしょうからねぇ…
ところで、季節労働者たちが寝泊まり
したのは、番屋の中心部の囲炉裏&板の間をぐるりと囲む2階構造の畳敷きの部分だったそうで、1人1畳のスペースが与えられていたのだとか。
1畳分の広さがあれば、寝るには十分ではあるけれど、汗臭い&潮臭い野郎ども
がひしめいている中で寝るっつうのは、慣れるまでは大変だったことでしょうなぁ…
この番屋部分と屋根つづきで、事務所と青山さんの自宅部分がありまして(上に載せた母屋の写真でいえば、右半分)、自宅部分は別世界
でした。
使われている木材も、かなり質が高そうでした。
そりゃねぇ、網元ですから…。
ニシン漁のときだけ身一つで出稼ぎにやって来る人たちと、これだけの資産を持って、雇い人を食わせる網元とは、世界が違うのでしょう。
明治以降、北海道の日本海側を潤したニシン漁は、1960年頃を最後にパッタリと衰えてしまい(ニシンが来なくなった)、現在に至るわけですが、今年2月、久しぶりにニシンがやって来たらしいというニュースが流れていました。
北海道新聞のサイトによれば、
江戸時代から明治時代にかけてニシン漁で栄えた江差町のかもめ島沿岸で(2月)26日午前、ニシンの群れが産卵のために押し寄せ、海が白く濁る「群来(くき)」に似た現象が確認された。道が調査をしている段階だが、漁業関係者は1世紀以上前となる豊漁の再来を期待している。
だそうです。
いくら豊漁になったとしても、ニシンを食べるだけでなく、脂を搾り
、滓を肥料として売りまくった時代とは状況がまるで違いますから、「往時の復活
」はあり得ない
でしょうけれど、よい話
ではあります。
つづき:2017/04/05 「ビバ初め」札幌旅行記 #2-9