「4日週」だったことに加えて、毎月の私の最繁忙期だということもあって、なかなかブログを更新できずにいましたが、「大阪でビバった旅行記 #1-4」のつづき、大阪城公園のお話です。
「#1-4」で書いたように、すでに天守閣の入館時間を過ぎておりまして
、天守閣を時計回りに廻って、大阪城ホールへと向かいました。
天守閣の北東側に、いかにも枡形っぽい部分がありました。
説明板によれば、「山里口出枡形」という場所だそうで、
本丸と山里丸とを結ぶ通路に設けられた枡形で、徳川幕府が行った大坂城再築工事によって築かれた。外敵に備えるための、石組みに囲まれた四角い区画を枡形といい、特にこの場所は本丸から山里丸側に突き出していることから出枡形という。南には本丸に通じる姫門、東には山里丸に通じる山里口門があったが、いずれも明治維新の大火により、石垣上の塀ともども焼失したと考えられる。なお西は埋門(うずみもん)となっていて隠し曲輪へと通じている。
とな。
上に載せた写真の右側が姫門跡、中央やや左側の石垣が切れているところが山里口門跡なのでしょう。
そして、写真に写っていない右手前が、切通しのようになっていまして、これが埋門跡でした。
上の写真は、「隠し曲輪」側から見た埋門跡。
さて、山里口跡に作られたスロープを降りると(せっかくの石段をここまでスロープで覆う必要があるのかな…)、
山里丸跡、今は「刻印石広場」と呼ばれる場所になっています。
この「#1-5」で大阪遠征初日の巻を完結したかったのですが、事情がありまして、まだ続きます。
つづき:2017/04/03 大阪でビバった旅行記 #1-6